
コンクリートの路上にアブラゼミの亡骸が落ちていた。
一見生きているように見えた。
子供の頃、このセミをやたらと見た。
他のセミたちと違って、機敏さが不足しているように思えた。
簡単に捕らえられたし、たまに家の中に飛び込んでくることさえあった。
いつのことだったか、どこか近いところからアブラゼミの鳴き声が聞こえてきたので、音の出所を耳で探り当てると、カマキリに喰われながらジージーと鳴いていた。
ぞっとした。
なんて愚鈍な奴なんだろうと思った。
同時に、このセミに対する嫌悪感が芽生えた。
中学1年のとき、それまで住んでいた常盤町から離れ、当時新興住宅地だった永吉団地に引っ越してからは、アブラゼミの声を聞く機会も減った。
常盤町の家には縁側があり、そこから約4~5メートル離れた所に、種類の違う5本の木が並んで立っていた。家の中にまで飛び込んできたのは、その中の1本がアブラゼミの好む木だったのだろうと思う。
28才の時から20年間住んだ長野県上田市では、ミンミンゼミの声ばかりが聞こえていて、それにちょっと違和感を覚えた。たぶん僕が住んでいた場所が、たまたまそうだったのだろうと思うが、ミンミンゼミの声ばかりを聞きながら、クマゼミ、ツクツクボウシ、ニイニイゼミ、ヒグラシ、そしてアブラゼミの鳴き声を懐かしむようになっていた。
鹿児島に帰ってきて常盤町の森を訪ね、そこで何十年振りかでクマゼミの声を聞いたときは、嬉しかった。そのたくましく広がる響きの中から、かつて幼心に感じた「夏」が、幸福感を伴って蘇ってきた。
そして今日、アブラゼミの間抜けな亡骸を見たとき、「またこいつか」と思った。
「今度は一体どんなドジをしでかしたんだよ」
そう思うと同時に、子供の頃感じていたはずの、このセミへの嫌悪感が消え去っていることに気付かされた。