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あし@


 伝説となったウッドストック音楽祭が開かれたのが1969年。当時僕は中学2年生で、同じ中学の仲間たちとバンド活動を始めた頃だった。日本では、ロックが今のようにメジャーではなく、海外から伝わってくる情報も極めて少なかった。ホームビデオが普及する前のことで、衛星放送もインターネットもこの世に存在していなかった時代。98年に廃刊になってしまった月刊誌「ミュージック・ライフ」の発売日や、レコード会社から送られてくる会員誌などをいつも心待ちにしていた。ロック演奏の映像など、朝7時20分からのテレビ番組「ヤング720」で、たまに数十秒流れる程度だった。
 そんな状況だったから、映画「ウッドストック」の国内上映をどれほど待ち焦がれ、どれだけ期待に胸を膨らませたことか…。

 当時は全国同時封切ではなく、まず東京・大阪などの都市圏で上映され、地方での上映までには時間的なズレがあり、鹿児島の映画館で観たのは、70年、中学3年のときだった。

 以下は、Wikipediaからの抜粋

 === === === === === ===

 死後35年以上経った現在でも、「天才ギタリスト」として多くのミュージシャンに多大な影響を与え続けている、現代的ロックギターのパイオニアの一人。メジャーシーンでの活動期間がわずか4年ほどだったにも関わらず、後世のギタリストに与えた影響が比類のないほど絶大であることから、史上最高のロックギタリストと呼ばれることが多い。

 ヘンドリックスはギターの音質を電気的に変化させる機材(いわゆるエフェクター)を多用することで知られた。スタジオ録音はもちろんステージでもエフェクターを使用し、従来のギタリストでは考えられなかったほど音質に豊富なバリエーションをもたせている。

 ヘンドリックスのソロプレイは、例えば後に登場してくるハードロック/ヘヴィメタル系ギタリスト等と比べると特に速弾きとは言えず、運指もやや正確さに欠けるところがある。しかしギターという楽器が本来備えている音に加え、大音量に付随する電気的なノイズまでも駆使し、音色を刻々と変えながら、まるで自分の手足のごとくギターを扱い、即興で感情の高まりを表現していく能力により、現在もヘンドリックスに並ぶロックギタリストは出現していないと評価されることもある。
 1969年8月に6人編成でウッドストック・フェスティバルに出演しトリを務め、音楽史に残る名演「The Star-Spangled Banner」(星条旗、アメリカ合衆国の国歌)を演奏。フィードバックやアーミングといったエレクトリックギターの特殊奏法の限りを尽くし、爆撃機が空襲を行い民衆が泣き叫び逃げまどう様子を、音で完璧なまでに再現してみせた。これは泥沼化して先が見えないベトナム戦争と、希望のない戦争にのめり込むアメリカ合衆国への痛烈な批判だった。後年、ミック・ジャガー(ローリングストーンズ)はヘンドリックスのアメリカ国家演奏を「1960年代最大のロック・パフォーマンス」と賛美している。


 事前にこの話を聴いたときは、60歳を超えた今、果たしてどれだけの演奏が出来るのか? などと懐疑的であり、あまり期待もしていなかったのだが、いざこんな映像を見ると、ぞくぞくしてしまう。
 ドラムは、亡きジョン・ボーナムの息子、ジェイソン。

 やっぱ、年を取ってもZepはZepです!

(オーディエンスによるブートレッグ映像みたいです)
  ↓
Good Times Bad Times


The Song Remains the Same

 レッド・ツェッペリンの3枚目のアルバムを初めて聴いたのは、鹿児島市甲突川に架けられた新上橋そばにあったレコード店だった。友達と2人で聴きながら、もっとも戸惑ったのは、ヴォーカルのロバート・プラントの声の変わり様だった。最初の2枚のアルバムでは、太く迫力のある声だったのに、もっと金属的な細い声になってしまっていた。最初は、同一人物が歌っているとは思えなかったほどで、これにはかなりショックを受けた。
 もう1つ予想に反していたのは、「Communication Breakdown」や「Whole Lotta Love」のような、ストレートなハード・ロックが影を潜めていたこと。これが、それまでのファンの多くを裏切ったことは今でも、様々なレビューで良く目にするが、中学3年当時の僕もそういった中の1人だった。

 しかし、現在では、デビューアルバムと共に、最も好きなアルバムとなっている。中でも、4番目に収められた「Since I’ve Been Loving You」は最高!

 ビリー・ジョエルは、ソロ・シンガーとしてデビューする前、Attilaというハード・ロック・バンドを結成している。メンバーは、ヴォーカル&オルガンのビリーとドラムのジョン・スモールの2人という極限的最小ユニット。オルガンにディストーションをかけ、ギターライクなサウンドに仕上げていた。

 1970年に、1stアルバム“Attila”をEpicからリリースしている。日本ではCBSソニーから発売され、ポップ誌『ミュージック・ライフ』の広告ページで小さく紹介されていたのを見て、その存在を知った。雑誌に掲載されたのは、その広告のみで、アルバムについてもバンドについてもレビューは無し。つまり、完全に無視されていたと思う。

 アルバム“Attila”を初めて耳にしたとき、かなり興奮したような記憶が残っている。中学3年生だった。ハード・ロック、そしてキーボードに目覚めた頃で、ギターに対しては敵愾心と憧れの入り混じった複雑な気持ちを抱いていたので、オルガンでもギターみたいなサウンドが出せ、華麗なテクニックを見せ付けることが可能だということを実際に示してくれただけで、快感を覚えた。

 その後、ハード・ロックからプログレッシヴ・ロックへ、そしてクラシック近代、現代音楽へと興味が移り、音大入学を目指して受験浪人していた19歳の頃(1975年)、“Attila”への興味も完全に失せアルバムを売り払ってしまった。

 その2年後、ビリーは『ストレンジャー』のヒットで広く名前を知られるようになる。アルバムを手放したことを後悔した。Attilaのアルバムは復刻されず、現在でも入手困難となっている。ブートレッグで入手できるという話も聞いたことがあったが、常に情報収集するほどの熱意までは持ち合わせていなかった。

 アルバム“Attila”を手放してから約30年。その中の4曲を視聴できるサイトを見つけた。
こちらをクリックすると、そのサイトが開きます

 不思議と懐かしさは余り感じなかった。中学生だったころの感じ方と現在では、大きく変化してしまっている。その後の成功のことも知ってしまった後では、「ハード・ロックには向かない声で、無理して歌っている」という受け止め方しかできなかった。ギターみたいな音も、せっかくハモンド・オルガンを使用していながら勿体無いとしか思えない。

 やっぱり、ビリー・ジョエルは、その後のスタイルが似合う。Attilaがなまじ中途半端な成功などしなくて良かったと思う。
こちらをクリックすると、YouTubeの動画を見ることができます。

 Bryan Adams,Rod stewart&Sting

 こんなセッション、あったんだなぁ…。
 
 ドキュメンタリー・タッチの編集が魅力。ファースト・フレーズは、たぶんリハーサル映像と差し替えられている。初めて見たときは、いつ曲が始まったのか判らなかった。

 3人が実に楽しそうに歌っている姿が印象的。



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