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 1週間前に、テルミンのことを書きました。
(※こちら)
 ↓
テルミン Theremin

 そのテルミンが、なんと雑誌の付録に付くらしいのです。ミニサイズで、どんな音が出るかは全く分かりませんが、2,300円なら誰も後悔はしないでしょう。お友達とのコミュニケーション・ツールとしても最高! トーキング・テルミンごっこなんて楽しそうです(笑)

「大人の科学vol.17」2007年9月下旬発売予定

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テルミン Theremin

 レッド・ツェッペリンの『胸いっぱいの愛を』で、効果音として使われているのを聴いたのが初めてのテルミン体験だったが、旋律楽器として駆使するためには、優れた音感と熟練が必要。演奏中の映像を見ると、魔法の透明楽器を見ているようで、ちょっと不思議な感じがする。

 ロシアの発明家、レフ・セルゲーエヴィッチ・テルミンによって1919年に発明された史上初の電子楽器。テルミン本体に2本のアンテナがあり、それぞれのアンテナに近づけた一方の手が音高を、もう一方の手が、音量をコントロールする仕組みになっている。

 2人の演奏家による、サン・サーンス作曲『白鳥』聴き比べ。個性がはっきり出るのが面白い。

竹内正実



Clara Rockmore

 日本人なら誰もが口ずさめる童謡「ちょうちょう」。16小節からなる単純2部形式の、実にシンプルなメロディーです。スペイン民謡ともドイツ民謡とも言われていますが、すっかり日本の歌として、定着していますね。

 日本語の歌詞は、元歌とは関係無く、日本で後付けされたものらしいのですが、音の動きと、日本語の歌詞との一体感、その単純な表現から描き出されるイメージ世界の鮮やかさには、惹かれるものがあります。

 皆さんよくご存知の歌ですが、敢えて細かく振り返ってみます。

  ちょうちょう ちょうちょう  なのはにとまれ
  ソミミ    ファレレ    ドレミファソソソ

 まず全く同じモチーフが高さを変えて、2度現れます。「ちょうちょう、ちょうちょう」という穏やかな呼びかけの部分です。次に、順次進行の上行フレーズが現れ、「なのはにとまれ」という蝶々への優しく誘いかけるメッセージが乗っかります。
 だたそれだけのシンプルなフレーズですが、音の動きと言葉とが、実にしっくりとできています。

 ― ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ

 その次の、「なのはにあいたら」という部分は、最初の2小節「ちょうちょう ちょうちょう」という部分の、リズムを変えたものですね。音数が増えることによって菜の葉に飽きてうずうずし始めた気持ちが表現されています。

 ― 菜の葉に 飽いたら

 それに続く「さくらにとまれ」という部分のフレーズは、中高で、最後がふわりと下がっています。菜の葉の回りを飽きるほど飛び回り、そのあと桜へと場所を変え、「ふわりと舞い降りよ」といったような気持ちが優しく現れています。

 ― 菜の葉に 飽いたら 桜にとまれ

 この後に現れる動きは、それまでとは異なっています。
 前半の音の動きは、上への動き、下への動きが、それぞれ2小節の中で、ふわりふわりと収まっていますが、ここに来て、倍の4小節をかけて、長い呼吸で上へ上へと動いて行きます。そして、歌詞が描き出すのは、桜の咲き乱れる、広がりのある世界。

 ― 桜の花の 花から花へ

 続く場面では、その春爛漫の花の世界で、飽くことなく飛び続ける蝶々たちの喜びの世界が表現されています。

 ― とまれよ遊べ 遊べよとまれ

 前半の「菜の葉に飽いたら桜にとまれ」と音の動きは、同じなのですが、その前に現れる広がりの世界の後なので、そこに現れる気持ちも違って感じられます。

「浜辺の歌」

20061207081258.jpg


 日本歌曲という分野に特別の思い入れはないが、何曲か好きな歌もある。すぐに思い浮かぶものとして「ふるさと」「赤とんぼ」「小さい秋見つけた」、それから、これはジャンル的には歌謡曲ということになるようだが「遠くへ行きたい」などがある。そんな中で、現時点で最も好きな歌が「浜辺の歌」。なぜか、特別な1曲になっている。

 しかし、この歌に付随した想い出があるわけではない。いつどんな状況で、この歌のことを知ったのかも全く覚えていないが、この歌のたっぷりとしたメロディーと、「風の音よ」という歌詞の部分で聞かれる半音階進行は妙に心をくすぐる。

「浜辺の歌」に惹かれるのは、僕だけの個人的な現象ではないようで、今、手元にこの歌が録音されたものが5種類ある。演奏者は、チェリストのミーシャ・マイスキー、クリーヴランド管弦楽団シンフォニエッタ、歌手のスーザン・オズボーン、ジャズ・シンガー鈴木重子、オカリナ奏者の宗次郎。このように、国境を越えた人気曲となっている。

 作曲者の成田為三には、東北人特有の引っ込み思案なところがあったようだ。残された写真の表情からだけでもそれが伝わってくる。性格的に自己宣伝を好まないところがあって、「浜辺の歌」は作曲してからしばらくそのままになっていたという。日の目を見たのは大正7年(1919) 竹久夢二の装丁による楽譜が出版されてからである。さらに一般に知られるようになったのは、文部省著作中等音楽教科書に採用されてから後のことになる。
 世界的なチェリストやヴォーカリストがこの曲を取り上げるようになる遥か未来の出来事など、作曲者自身、想像すらしていなかっただろう。

 為三の出身地秋田県北秋田市米内沢(旧森吉町)には、彼を記念した「浜辺の歌音楽館」というのがあって、彼のロボットがピアノを弾いてくれるのだそうだ。引っ込み思案だったという当の本人、天国でそのことを一体どう思っているだろう。


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※書いてから気付きましたが、Uターン後吹上浜の写真を多数撮っていることと、気分的にリンクしているようです。海の無い長野県での20年が、「浜辺の歌」への想いを強くしたのだと思います。そんなわけで、書いたあとで、吹上浜の写真をアップしておきました。

※この歌の出だしが、「峠の我が家」に似ていると感じている方もいらっしゃると思います。スーザン・オズボーンもそんな中の1人らしく、1回だけ間違って、「峠の我が家」と同じ出だしで歌ってしまっています。

 4分の4拍子の曲の頭に「C」と書いてある楽譜が多い。なぜ「C」と書くのか考えてみたことのある人は少ないのではないかと思う。僕にしても、それが意味するところを知っていれば不自由しないので、そこから遡って考えてみようと思ったことはなかった。

 今や遥か昔となった音大受験時代に、ソルフェージュの先生からその質問が発せられたことがあって、1人の男の子がかっこいい答え方をしていた。
 西洋には三位一体という概念があり、3という数字が完全であり、4は不完全な数字なので、完全な「○」ではなく、一部が欠けた「C」が使われる、と答えていた。
 そのときは、「おお、こいつ知恵者だなぁ!」と思ったが、この説には無理がある。
 それだったら、3拍子は「○」と書かれなければならないが、そんな楽譜は見たこともない。
 音符を見ても、全音符は4拍延ばしで、棒のない太い○を書く。3拍は、付点2分音符という実に不完全な形になっている。楽譜に関しては、「3」ではなく「4」が中心になっているのは明らかである。

 それでは、4分の4拍子を意味する「C」とは何なのか? 答えは大して面白くもない「Common Time(普通の拍子)」の頭文字である。この世に無数に存在する楽曲の中で、やはり4分の4拍子が圧倒的に多い。
 
 この「C」に似た拍子記号がもう1つある。「C」の真ん中に縦線の入った2分の2拍子を現す記号。こちらには「Alla Breve(アラ・ブレーヴェ)」という洒落た名前がある。伊和辞典を持っていないので確認できないのだが、「Breve」というのは、確か「倍の」という意味じゃなかっただろうか? 「4分音符の倍の長さを持つ音符が1拍になる普通の拍子」という意味合いで、元々は2分の4拍子に対して使われていたらしい。しかし、2分の2拍子に比べ、2分の4拍子の楽曲は比較にならないぐらい少ない。使う機会の無い記号などあってもしょうがないから、いつの頃からか、2分の2拍子を意味するようになったということのようだ。


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