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 先週、南日本新聞の記事から、小松帯刀の手紙についての記事を紹介させていただきましたが(http://meadowblog.blog74.fc2.com/blog-entry-1138.html)、同じ南日本新聞から、今日は篤姫付老女幾島に関する記事です。

 鹿児島市唐湊(とそ)2丁目の唐湊墓地に、幾島の招魂墓が残っていることがわかり、碑文から、これまで不明だった出自や生没年などが明らかになりました。

 大河ドラマ『篤姫』以前は、篤姫の存在すら知らなかった人が多いのですから(僕もその中の1人です)、そのお付の老女となると、関心が寄せられなかったというのも無理ないですね。
 
 「心逞(たく)しく肝太い」などと評され、篤姫の信頼も厚かったということですが、ドラマで松坂慶子さんが演ずる幾島も、まさに「心逞(たく)しく肝太い」感じが出ていましたね。

 記事詳細は、こちらをどうぞ
  ↓
http://373news.com/modules/pickup/topic.php?topicid=129&storyid=10654


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 NHK大河ドラマ『篤姫』の第2回目放送分まで登場した薩摩藩家老・調所広郷像。
 鹿児島市天保山公園に建っている。

調所広郷像 1 (92%)


調所広郷像 2 (92%)



 幕末に近い文政十年(1827年)薩摩藩の借金は、五百万両の巨額に達していた。

 当時の藩の年収総額十数万両は、借金金利に遠く及ばず、正に破産の危うきにあった。

 時の島津重豪公は、究極の策として一介の茶坊主上がりの調所広郷を家老に抜擢、藩財政改革を厳命した。

 広郷はその期待に応え巨額の負債を解決し、あまつさえ五十万両の蓄えさえ残した。

 更に藩政の興隆を図り、数々の土木工事を行った。

 平成5年8・6水害で惜しくも決潰あるいは撤去されたが、広く県民に親しまれた西田橋等甲突川五石橋も、天保山の造成も全て調所の発案である。

 改革は藩内に留まらず、広く海外交易にも力を注ぎ、琉球を通した中国貿易の拡大や、北海道に至る国内各地との物流の交易をはかって、藩財政の改革の実を挙げたのは、この調所広郷である。


 だが歴史は時の為政者によって作られる。

 調所広郷は幕府に呼ばれ密貿易の罪を負い自害に追い込まれ、今も汚名のままである。

 しかし、斉彬公の行った集成館事業をはじめとする殖産興業・富国強兵・軍備の改革の資金も、明治維新の桧舞台での西郷・大久保の活躍も、全て調所の命を賭け、心血を注いだ財政改革の成功があったからと思う。


 此処に調所広郷の銅像を建立し、偉業の後世に残ることを願う。




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