NHK大河ドラマ『篤姫』の第2回目放送分まで登場した薩摩藩家老・調所広郷像。
鹿児島市天保山公園に建っている。


幕末に近い文政十年(1827年)薩摩藩の借金は、五百万両の巨額に達していた。
当時の藩の年収総額十数万両は、借金金利に遠く及ばず、正に破産の危うきにあった。
時の島津重豪公は、究極の策として一介の茶坊主上がりの調所広郷を家老に抜擢、藩財政改革を厳命した。
広郷はその期待に応え巨額の負債を解決し、あまつさえ五十万両の蓄えさえ残した。
更に藩政の興隆を図り、数々の土木工事を行った。
平成5年8・6水害で惜しくも決潰あるいは撤去されたが、広く県民に親しまれた西田橋等甲突川五石橋も、天保山の造成も全て調所の発案である。
改革は藩内に留まらず、広く海外交易にも力を注ぎ、琉球を通した中国貿易の拡大や、北海道に至る国内各地との物流の交易をはかって、藩財政の改革の実を挙げたのは、この調所広郷である。
だが歴史は時の為政者によって作られる。
調所広郷は幕府に呼ばれ密貿易の罪を負い自害に追い込まれ、今も汚名のままである。
しかし、斉彬公の行った集成館事業をはじめとする殖産興業・富国強兵・軍備の改革の資金も、明治維新の桧舞台での西郷・大久保の活躍も、全て調所の命を賭け、心血を注いだ財政改革の成功があったからと思う。
此処に調所広郷の銅像を建立し、偉業の後世に残ることを願う。