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2つの小松帯刀像

昨年のNHK大河ドラマ『篤姫』がきっかけとなって、すっかり有名になった小松帯刀像。

小松帯刀像 (30%)


 この銅像が建っている宝山ホール(鹿児島市山下町)前は、かつてにかつて小松家本邸があった場所です。


 この像とそっくり同じ形の像が、日置市吉利の清浄寺境内にも建っています。

清浄寺の小松帯刀像 (30%)

 吉利は、かつて小松家の領地だった所であり、清浄寺は、その菩提寺でした。そこに小松帯刀像が建っているのは当然だとしても、「何故にあの小松帯刀像と同じものが?」 と初めてその存在をインターネットで知ったときは、一瞬不思議に思ったものです。

 そのかすかな疑問も、今年3月、吉利の園林寺跡地にあるる小松帯刀の墓を訪ねたときに消え去りました。

 墓地の入り口付近で、関連資料の紹介や書籍の販売をしていた方に、「もう一つの小松帯刀像が建っている場所」について訊ねたところ、それが切っ掛けとなってあれこれと話が弾み、清浄寺の小松像は、宝山ホール前の銅像を作る際の原型を補強して再利用したものだということが判りました。

 それ以外にも、その時初めて知った事がいくつかあったのですが、話が煩雑になるので、また次の機会にでも…。

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 八田 知紀(はった とものり)
 歌人。幼名は彦太郎、通称は喜左衛門、号は桃岡(トウコウ)。
 1799(寛政11). 薩摩国鹿児島郡西田村(現・鹿児島市常盤2丁目)生れ。京都の藩蔵役人、歌道御用掛。

鹿児島市のホームページに詳しい説明が出ています。
 ↓
http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/kanko/_28665/_28666/_29780.html

 小松帯刀は、10歳の頃から、この八田知紀に歌を習いました。その当時、八田はまだ無名でしたが、小松は後に高名になることを予見していたといいます。

 八田知紀誕生地
  ↓
石碑 広角 (30%)

解説板 (30%)

 僕は、八田知紀が生まれた常盤2丁目に、3歳から13歳までの10年間住んでいました(当時は常盤町)。

 その頃、常盤の森の入り口に、八田を記念し、号・桃岡から名付けられた桃岡公園があり、子供たちの良き遊び場になっていました。子供たちは「桃岡(とうこう)」が、歌人の号だということも知らずに、その「遊び場」を「ももがおか」と呼んでいました。

 通称「桃が岡」と八田知紀生誕地の碑の関連を知ったのは、小学校4年生のときでした。校区の歴史を勉強する時間があり、薩英戦争本陣(千眼寺)跡地やここを、担任の先生に引率されて、クラス全員で見学に行きました。

 「桃岡」という号を、生徒たちはてっきり「桃が岡」という地名に因んだものだと思い、口々にそうささやいていると、担任の先生が「おい、それは逆だぞ!」と言われてしまったことを昨日のことのように思い出します。

 それから40年余りが経過し、平成20年の今日、NHK大河ドラマ『篤姫』が評判になり、その八田知紀が、ドラマの準主役として登場した小松帯刀の歌の先生だったことを知ったわけです。

 ところで、子供たちにとって良き遊び場だった桃岡公園も、今は私有地となり、石碑は武岡の頂上で武岡トンネル換気所と樟南高校の野球グランドの間に移されているとのことです。


※小松帯刀屋敷跡 
    ↓
http://meadowblog.blog74.fc2.com/?q=%BE%AE%BE%BE%C2%D3%C5%E1%A1%A1%B2%B0%C9%DF%C0%D7


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小松帯刀の手紙

 鹿児島の地方紙「南日本新聞」3日前の朝刊の1面に、一民家に保管されていた小松帯刀の手紙についての記事が出ていました。

手紙は、妻のお近に宛てたもので、日付と内容から薩長同盟実現に向けて奔走していた1865(慶応元)年、長州藩士らに接触する直前に、長崎から送付されたもののようです。

 その内容は妻への思いやりにあふれたもので、当時の小松の動きが推察できる一級史料としての価値もあるとのこと。

 詳しくはこちらをどうぞ。
   ↓

http://373news.com/modules/pickup/topic.php?topicid=29&storyid=10519

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小松帯刀屋敷跡

 故・司馬遼太郎氏の著書「街道をゆく3 肥薩のみち」の中に、こんな記述がある。

― 小松帯刀屋敷への道は、どこをどう通ってゆけばいいのか いまでは思いだす手がかりもないほど、ややこしかった。途中、何度も道をきいた。


 これには首を捻ってしまった。

 この文章からは、まるで迷路のように入り組んだ町の中を、迷い迷いながら歩いたかのような印象が伝わってくるが、実際の道筋は至ってシンプルだ。


 市営バス原良線のバス停「かけごし」を降りて、原良本通りをバスの進行方向へ200メートルほど歩くと、案内板が見えてくる。そこから左折して小路にはいると、あとは道なりに2分も歩けばそこに辿り着く。


 だが…、ちょっと待てよと…、その周辺は、自分にとっては子供の頃から親しんでいた場所。

 だからこそ、そう思えるのかも知れない。


 そこで、改めて考えてみた。

 順路の起点を鹿児島市でも中心地に近い「鶴丸城跡地」に設定し、小松邸跡地への道順の予備知識が「バス停『かけごし』から歩いて5分」程度のものだったとしたら…。

 そうだとすると、ちょっと難しいかとも…、思えないでもない。


 NHK大河ドラマ『篤姫』で、日本国民の前に突然現れた「尚五郎さん」。これまで、薩摩といえば「島津」「西郷」「大久保」などは有名だったが、それに比べると一般的知名度は低く、地元での扱いにも雲泥の差があった。

 西郷ゆかりの地であれば、「生誕地」「没地」「墓」「銅像」など、それぞれが観光地化しているので、周囲に漂う空気に誘われるように、いとも簡単に辿り着けるが、「小松帯刀屋敷跡」は、何の変哲もない古い住宅地の一角に、ひっそりと佇んでいる。


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01 かけごしバス停(29%)


 「とりあえずバス停『かけごし』で降りたら、なんとかなるだろう」

 もし、そう思っていたのなら、バスを降りた時点で途方にくれるかもしれません。

 その近辺に案内板などは見当たらず、史跡訪問者を出迎える雰囲気など皆無。在住市民の生活のためだけに機能している、ただの「見知らぬ町」でしかないからです。
 
02 原良本通り(29%)


 「原良本通り」を、降りたばかりのバスの進行方向に向かって、200メートルほど歩き、城西歯科の手前に立っている案内板(逆光にて、撮影不可でした)左折します。
 屋敷跡の位置を知る手がかりは、この案内板のみです。

03 小路a(29%)


ご覧のとおり、この先に「史跡」があるなどという雰囲気など皆無です。

04 小路b(29%)


 ところが、そんな平凡な町の曲がりくねった小路を歩いてゆくと、突然このような高く大きな古い石垣が出現します。

06 石垣 東角 b(29%)


その石垣にそって左の小さな坂を上ると、

07 正面 b(29%)


旧小松邸の入り口が見えてきます。

08 築山(29%)


さきほどの石垣の上には、こんな築山があります。

09 石灯籠(29%)


 この石灯籠、「坂本龍馬の立ち姿に似ている」と、小松どんが言ったとか…。

 これらは、正面から右の一角ですが、

 左側に視線を移すと…

10 臥龍梅(29%)


臥竜梅が咲いていました。

   (※撮影は2月11日)

10 臥竜梅 看板(29%)

11 楽しい臥竜梅(29%)


保存状態が良いとは言えませんが、まさに「竜」のごとく身をくねらせています。

12 竜のように(29%)



 樹齢300年。小松どんも確実に目にしています。

 臥竜梅。司馬遼太郎氏の著書によると、「薩摩の中ぐらいの士族屋敷では家格の象徴のようにして愛し、たいてい小庭に持っていた」ということです。

 
 === === === === ===


 こうして、写真を並べてみると、

 馬遼太郎氏が屋敷までの道中の印象を、「ややこしかった」「思いだす手がかりもない」と書いたのが、解るような気もします。 そこに辿り着くまでの景色が、記憶に留まりにくいのです。

案内看板(29%)



※薩英戦争本陣跡と今和泉島津家本邸跡

http://meadowblog.blog74.fc2.com/blog-entry-1165.html

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