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 ブルグミュラーの『25の練習曲』は、数あるピアノの初歩教材中でも、人気の高い部類に属するが、余り好意的でないレビューを見たことがある。「音楽史上において一流とは言えない作曲家の書いたものなので、同程度の難易度であれば、一流の作曲家であるシューマンが書いた子供用の楽曲などを与えるほうが良い」といった旨のことが書いてあった。
 だが、この『25の練習曲』は、難しい技巧を要しない曲集の中では良く出来ている。音楽的に魅力的な曲が多く、「歴史的に重要な大作を残していない」という理由だけで軽視する必要は無いと思われる。

 ということで、1曲目の「素直な心」について少々。

 16小節の単純2部形式+コーダ6小節。1ページ内に収まる短い曲で、バイエル教則本の中程度のテクニックで弾きこなせるが、その中には小さなドラマが構成されており、ささやかな感動を体験することが出来る。
 全体を通して8分音符単位の動きで貫かれており、その平坦なリズムが「素直な心」というタイトル通りの雰囲気を漂わすことに繋がっている。
 この曲の中心的なモチーフは、曲頭に現われる「ソミレド」。この音型が全体に繰り返し現われ、曲としての統一感が図られている。シンプルだが、私はこの音型に愛着を感じている。
 この曲の冒頭を見ると、いつもグリークの管弦楽組曲『ペールギュント』の1曲目「朝」の冒頭を思い出す。ホ長調とハ長調という調の違い、テンポの違いはあるが、「ドレミソ」という、第4音の含まれないペンタトニック的な音列の使用と、平坦なリズムという点で共通しており、牧歌的な感じがするのがその理由。2小節目ですぐに「ファ」の音が出てくるので、作者は特に「ペンタトニック」に対する拘りは無いと思われるが、不安定で人工的な匂いのする第4音「ファ」が省かれた「ドレミソ」という音列は、有機的な安定感を感じさせる。ちょっと大袈裟な言い方のように感じられる方もいらっしゃるかも知れないが、この第4音の無い音列から成るテーマは、106曲もあるバイエル教則本の中に1曲も見当たらないのである。
 子供に教える場合、ペンタトニック(五音階)云々を口にする必要は無いが(と言うか、そんな言葉を使うと徒に小難しい印象を与えるので、避けた方が賢明)、そこから醸し出される魅力には是非とも気付いて欲しいと思う。歌的なメロディーではなく、器楽的な音型なので、弾き方によってはギクシャクとした固い響きになってしまう。ブルグミュラーが、冒頭にdolce と書き込んでいる気持ちがなんとなく分かるような気がする。
 では、どうやって教えたら良いのか…。それはもう教える側が柔らかい表情で弾いてみせることと、「柔らかくて素敵だね」等の言葉を用いて半ば暗示にかけるのが手っ取り早い。教える対象が子供であれ、大人であれ、その曲の魅力を範奏と言葉で繰り返し伝えることは大事なことだと思う。

 左手によって低音で奏される全音符の三和音は、この難易度の曲集では余り見かけない。
 低音で3度という近接した2音は、響きがにごり易く、和声学では、これ以上低い音域で3度を響かせることを禁じている。そのギリギリ限界がこの高さなのである。演奏経験を積んだ人ならば、この低い音域の和音を響かせる場合、ほとんど無意識のうちに、メロディーに対してどの程度の音量にするかをコントロールし、第3音、第5音の音量を抑えて、響きが濁らないように注意深く打鍵する。初心者にとっては、それも課題のひとつになるだろう。

 冒頭2小節で気付かせたい要素が、もう1つある。それは、低音の三和音と、高音で奏されるメロディーとの音域の広がりである。最初に鳴らされる右手のG音と、バスのC音との間には、実に2オクターヴ半の開きがある。そのことによってもたらされる広々とした情感にも、積極的に耳を傾けるようにしたい。

 以下、長くなりそうなので、今回は、ここまで。

    「すなおな心」 その2



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 (「その1」の続きです)

*1~4小節
 常にバスが主音を鳴らし、ゆったりと安定している。2小節目だけが下属和音に移行するが、すぐまたⅠ度へと戻る。実にシンプルだが、2小節目頭で曲中の最高音Cを鳴らす瞬間は、直前のCからのオクターブの跳躍もあり、大きな背伸びをしたような伸びやかさがある。ここでその広がりを感じることは、大切なこと。

 2小節目には記号によるデクレッシェンドが書き込まれているが、ここは「だんだん弱く」という意味より、小節頭のほうを強くという意味に解釈したほうが良いだろう。2小節目を除くと、右手で奏されるメロディーの動きは、ほぼC~G間を上下動。動かないバスとともに水平に安定した動き。

 1~2小節と3~4小節を比較すると、明らかに1~2小節に重心がある。右手で奏する音型の処理、音域の広がり、左手で奏する和音を、4小節のみで打ち直さないことなどがその具体的な理由。

*5~8小節
 5小節目からは、4小節までの「動かないバス」が動き始め、右手の音型にも変化が現れる。メロディーは、4小節間でGからオクターヴ下のGへと傾斜してゆく。5小節目に cresc. が書き込まれているが、右手の動きは、上行ではなく下行。ごく普通には、音が次第に高くなるにつれクレッシェンドさせる。ここではなぜ下行してゆく動きに cresc. が書き込まれているのか、生徒に考えさせるのも良いと思う。これは、もちろん7小節目の転調へ向けての cresc.。転調という小さな「事件」をしっかりと見据えてクレッシェンドさせたい。Gdurに転調しての完全終始は、文章に例えるならば「句点」であることもしっかりと押さえたい。

*9~12小節
 メロディー主体の8小節目までに対し、ここはメロディーの「流れ」よりリズムが勝った「動き」の部分。9~10小節をそのまま11~12小節でも繰り返す。左手の動きが8分音単位となり、曲想を支える基本的なリズムも変わる。8小節目までは、左手の動きが全音符単位で、3拍目にアクセントが付かないが、ここからは、2拍2拍4拍(ターン・ターン・ターアーアーアン)というややりズミックな動きが中心となり、3拍目にアクセントが付く小節と、そうでない小節が交互に現れる。そして、それはエンディングまで変わらない。この基本リズムの変化については、何となくではなく、しっかりと意識した上で表現に活かしたい。

 (つづく)

         「すなおな心」 その3


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 (「その2」の続きです)

*9~12小節 (この部分については、前回書いたものを書き直しました)
 冒頭で鳴らされる主動機を繰り返し鳴らし、統一感を保ちながらも、それ以外の要素において、8小節目までとは対照的に出来ている。

 1~4小節では、バスが低音域の主音にどっしりと留まり、7~8小節で属調ト長調へとすべり込む。旋律は吹き渡る風のように長い呼吸で、立ち止まることを忘れたかのように歌い続け、その動きは1オクターヴ半という広い音域に渡る。
 それに対し、ここではまずバスが5度上の属音Gから開始される。たっぷりと長い響きの三和音ではなく、8分音符で動く軽やかな単音奏で、属音Gから主音Cへと小節ごとに和声機能も移ろう。
 右手と左手は音域が近づき、1~4小節でのたっぷりとした広がりから、もっと身軽な響きへ、そして旋律は8小節間流れを止めなかった長いものから、2小節単位の短いものへと、呼吸を変える。

 楽曲を支える基本的なリズムも、それまでの全音符単位のたっぷりしたものから、もう少しだけ個性を主張し始め、バスの動きが2小節単位で、2拍2拍4拍(ターン・ターン・ターアーアーアン※音符で示せないのがもどかしい)というパターンを形作る。それはエンディングまで変わらない。この基本リズムの変化については、何となくではなく、しっかりと意識的に把握した上で弾きたい。

 1~4小節が、草原のような広々とした安定感を感じさせる情景だとすれば、ここではもう少し小さなアングル、たとえば子犬がじゃれていたり小鹿が跳ねていたりと、かわいい「動き」を強調した部分と言えるだろう。
 9、11小節目で、左手が右手音型と同時にその反行型を鳴らすが、その動きを2匹の動物に例えることもできる。10、12小節目では右手が立ち止まり、左手はその周りを戯れるように動き回る。作者がそのようなつもりで作曲したということは、たぶんないだろうが、学習者にとって、音の動きを視覚的なイメージになぞらえるのも、曲の魅力へと気づかせる有効な手立てとなるかもしれない。

*13~16小節
 13小節から14小節にかけて、和声的な緊張(減七の和音)とそこからの開放という形で、曲のクライマックスが形成される。この部分は右手の5指4指でソプラノをキープしたまま、内声部を弾かなければならず、初心者にとっては弾きづらく、そのことばかりに意識を取られがちだが、表現上大切な場面なので、(A・C・Es・G)→(A・C・Es・Fis)→(G・C・E・G・C・E)という和音の形でゆっくりと弾き、その響きと機能感を確かめると演奏表現のために役立つことと思う(個人的にはこの部分が大好きである。13小節最後から14小節頭への移行は、ト長調として見るとドミナンテからサブドミナンテへの弱進行となり、広がり感がある)。

*17~22小節(コーダ)
 16小節の完全終始以降は、曲の余韻を引っ張っている部分。同主短調からの借用Ⅳ度和音の半音下げられた6度音(As)の、半音下のGへと向かおうとする性質と短三和音の響きから、沈みゆく夕日を見ているような気分が漂い、静かに曲が終わる。最後に左手で2回、テーマの反行型が現れるが、海や湖に映った夕日に例えるのも面白いと思う。

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 ピアノを習ったことのある人なら、ブルクミュラーという名をご存知だろうと思う(多くの人は「ブルグミュラー」と3番目の「ク」に濁点の付いた呼び方で覚えているかも知れないが、ドイツ名なので「ブルクミュラー」が正しい。とは言っても、所詮日本訛りの発音ではあるが…)。

 そのブルクミュラーの「25の練習曲」の5番目に「無邪気」というタイトルの曲がある。この曲を知らない人は、どんな曲を思い浮かべるだろう?
 「無邪気」という言葉には、3歳ぐらいの子供が、満面に笑みを浮かべながら、ちょこちょこと走り回っているような、そんなイメージがある。
 たぶん、2拍子か3拍子の、少し速めの跳ねるような明るく楽しい曲が思い浮かぶのではないだろうか? 

 ところが、ブルクミュラーの「無邪気」は、流れるような穏やかな曲想である。
 速度標語は Moderato(中ぐらいの速さで)となっており、曲頭に示された発想標語は grazioso(優雅に、気品を持って)である。  

 「無邪気」
 「中ぐらいの速さ」
 「優雅に」
 
 この3つの概念は、日本語的なイメージでは、ちょっと結びつかない。

 「無邪気」という題の曲を、何で「気品を持って優雅に」弾かなきゃいかんのだ?

 原題は、フランス語の Innocence 。「無邪気」は、その和訳である。
 仏和辞典を引いてみると、Innocence という単語の日本語訳には、「無邪気」の他に、「清廉潔白」、あるいは「無罪」という単語も当てられている。

 つまり、
 Innocence=無邪気 ではなく、
 Innocence>無邪気 というわけだ。
 
 日本語の「無邪気」という言葉は、もともとは「邪気が無い」という意味なのだが、幼い子供に対して使われることが多いことから、イメージが、ある一定方向に限定され、本来の意味とは微妙にズレてきているような気がする。
 そんなわけで、「無邪気」という日本語は、この曲には、すでに相応しくないように思える。

 曲想を考慮に入れると、「きれいな心」あたりが良いのではないだろうか…。


 では、「優雅に。気品を持って」と訳される grazioso について考えてみたいのですが、長くなるので、続きはまた次の機会にて…。


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