
今から10年余り前、まだ長野県の上田市に住んでいたころのこと。仕事で週に一度、佐久市まで通っていました。車で山間の部落を抜けて約一時間。その日は、いつも使っている道が工事中で通行止めになっていました。
迂回路を示す立て看板の矢印は、山へ入って行く道を指しています。初めて通る山道で、その先が、どこに出るか分かりません。たぶんいつもより時間もかかるでしょう。定刻に遅れそうな嫌な予感に包まれながら、蛇行する坂道をどんどん上って行きました。
森を抜け、高原の村を走っていると、ある瞬間を境に、何か不思議な感覚が胸の奥で膨らむのを感じ始めていました。約束の時間に遅れるかもしれないというのに、目の前の現実とは無関係の幸福感・・・。
「なぜなんだろう?」
その感覚が自分でもよく理解できませんでした。
その感じは、仕事を終えた後の帰路でも、ほぼ同じあたりで湧き起こってきました。午後3時ごろ。しばらく、その感覚を胸に抱きながらハンドルを繰っていたましたが、下り坂にさしかかるあたりで、突然ある場面が、ぽっと脳裏に浮かびました。
小さな背中・・・、こどもの背中。
いつ見た場面だろう?
昔見た映画だろうか・・・、
いや、どうも違うような・・・、
だけど、確かにいつか見た場面。
運転しながら、しばらくその場面が脳裏に浮かんでいました。かすかな記憶・・・、思い出せそうで思い出せないもやもやとした中で、何かがうごめいていました。
が、やがて・・・、そんなもやもやの中から、はっきりとした記憶が浮かびあがってきました。
子供の背中は、自分が実際に体験した記憶の中の一場面、小学生のころ、近所に住んでいた同い年の友だちの後ろ姿。
近所に住んでいた同い年の遊び友達が自分を含めて3人。その弟やら妹やら、ちびっこたちがわいわい集まって、毎日のように、木登りや忍者ごっこ、三角ベース、などに興じていたものです。山が近かったので、そこで、グミや椎の実、ムカゴ(山芋の実)などを採って食べたり、虫を捕ったりして遊んだものです。
そんな日々の中、誰が言い出したのか、山を一つ越えて、その向こう側まで出てみよう、ということになったことがありました。
森の奥に何か見たこともないものがあるかも知れない、あの山を越えたら、どのあたりに出るのだろう?
そういう未知への誘惑が、絶えずささやきかけていましたが、ついに、それに乗ってしまったのです。
勇んで山に入った3人の探検隊。代わる代わる先頭になりながら、雑木林や竹や草が密集する山の奥へどんどん入ってゆきました。しかし、進んでも進んでも、同じように木や竹や草が待ち構えているだけで、山のどのあたりにいるのかさっぱり分からなくなってきました。引き返すのも、前進するのも、もう同じこと。一体どこに向かっているのかさえ分からない。森という異空間にすっぽりと包み込まれていました。歩く速度は目一杯速くなり、そして誰も喋ろうとしません。でも、考えていたことは3人とも同じでした。
「あした、子供3人が行方不明になったことが新聞に出るかも」
「山へ入ったことは、誰にも言ってこなかったから、探しにも来てくれない」
「ぼくだちは、いったいどうなるんだろう…」
どれくらい歩いたか分かりません。やがて、下界の町並みが木立の隙間からチラチラと見えてきたときには、ずいぶんと気持ちが軽くなりました。そして見晴らしの良いところに出たときには、3人とも思わず歓喜の声をあげてしまいました。
見えてきたのは、よく知っている隣の町でした。自分たちが通っている小学校も見えます。いつも見上げていた山の上に立ち、町を見下ろしていることが嬉しくてしょうがありません。
もうゴールは見えています。そちらに向かって、勢い込んでどんどん降りてゆき、そして山から町へと出る直前あたりで、ほっとして友だちの顔を見ると、土埃で黒く汚れ、目は充血しています。3人とも、互いに互いの顔を笑い合いました。そして異常に喉が渇いていることに気付きました。
この日のことは、すっかり忘れていて、思い出すこともなかったのですが、長い時間を経た二つの異なる体験が、「出口のわからない山を一つ越える」という似通った体験として心の奥で重なり、眠っていた古い記憶が呼び覚まされたようです。

ふるさとの町常盤町の山の麓から見上げた空。
昔ながらの空間が、こうしてわずかに残っている。

かつて、ここから森へと入っていった。

森へと続く道。

こういうところへ来ると、1歩進むことも困難になる。