


1914年の桜島(鹿児島市)大正噴火などを撮影したガラス写真乾板が、産業技術総合研究所(茨城県つくば市)で見つかったというニュースが、ミクシィでも取り上げられていましたが、たったひとつ付いたコメントに「桜島ほどしょっちゅう噴火している火山なのに、意外と資料少ないんだなぁ」という記述があって、愕然としました。 鹿児島県外に住んでいる人の認識とはこの程度のものなんですねぇ。
1914(大正3)年の噴火と言えば、流れ出た溶岩流で桜島と大隈半島が地続きになったという大噴火だったわけです。それほどの大噴火がしょっちゅうあるわけがありません。観光で桜島訪れたことのある人ならば、たぶん黒神埋没鳥居を見たことと思いますが、それも、大正3年の大爆発の降灰の跡です。神社本殿は火山灰の下に完全に埋まってしまったのです。
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黒神埋没鳥居について(鹿児島市観光課公式ウェブサイトより)※噴火当時の経過の模様が、Wikipediaに書かれています。
(以下コピペ)
1914年(大正3年)1月12日午前10時5分、桜島西側中腹から黒い噴煙が上がり、その約5分後、大音響と共に大噴火が始まった。約10分後には桜島南東側中腹からも噴火が始まった。間もなく噴煙は上空3000m以上に達し、午後になると桜島全体が黒雲に覆われ、断続的に爆発が繰り返された。午後6時30分には噴火に伴うマグニチュード7.1の強い地震(桜島地震)が発生し、対岸の鹿児島市内でも石垣や家屋が倒壊するなどの被害があった。
1月13日午前1時頃、爆発はピークに達した。噴出した高温の火山弾によって島内各所で火災が発生し、大量の軽石が島内及び海上に降下し、大量の火山灰が風下の大隅半島などに降り積もった。午後5時40分に噴火口から火焔が上っている様子が観察され、午後8時14分には火口から火柱が立ち火砕流が発生し、桜島西北部にあった小池、赤生原、武の各集落がこの火砕流によって全焼した。午後8時30分に火口から溶岩が流出していることが確認された。桜島南東側の火口からも溶岩が流出した。
1月15日、赤水と横山の集落が桜島西側を流下した溶岩に覆われた。この溶岩流は1月16日には海岸に達し、1月18日には当時海上にあった烏島が溶岩に包囲された。一方、桜島南東側の火口から流下した溶岩も海岸に達して海上を埋め、1月29日には瀬戸海峡を塞ぎ桜島が大隅半島と陸続きになった。このとき瀬戸海峡付近の海水温は49℃に達した。溶岩の進行は2月上旬に停止したが、2月中旬には桜島東側の鍋山付近に新たな火口が形成され溶岩が流出した。1915年(大正5年)3月、溶岩の末端部において二次溶岩の流出があった。