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 司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズの第3巻「陸奥のみち 肥薩のみち ほか」を、少しずつ読んでいる。
 興味を引いたものから読み始め、あちこちと拾い読みしているので、なかなか完読しない。一挙に読み終えるのが惜しくて、ちびちびと読むことを楽しんでいる。

 薩摩焼の第14代沈寿官を京都のお茶屋に案内したとき、芸者に唄を請われ、関ヶ原合戦時の島津義弘軍の退却戦を描いた「妙円寺参りの唄」を歌ったときの話とか、田原坂にある作田さんというお宅に、西南の役の激戦をしのばせる遺留銃器や兵士の携行品などが沢山保存されているという話、熊本に「酒本鍛冶屋」という400年続いている鍛冶屋があって、そこで石工用の大きな金槌を買った話など、興味深く読んだが…。

 今日は「陸奥のみち」の「野辺地湾」の章を読んで驚いた。旧南部藩の一部だった八戸がなぜ岩手県でなく青森県に属するのかという話から、明治政府が都道府県をつくるとき、どの土地が官軍に属しどの土地が左幕もしくは日和見であったかが後世にわかるようにしたことへと展開する。

 県庁所在地の名称がそのまま県名になっている県が官軍側。薩摩(鹿児島県鹿児島市)、長州(山口県山口市)、土佐(高知県高知市)、肥前佐賀(佐賀県佐賀市)の4藩が代表的もの。
 これらに対し、加賀百万石は日和見藩だったために、金沢が城下であるのに、金沢県とはならずに石川という県内の小さな地名を探し出して、これを県名とした。戊辰戦争の段階で奥羽地方は秋田藩を除いてほどんとの藩が左幕だったために、秋田県を除く全ての県が、かつての大藩城下町の名称としていない。仙台県とはいわずに宮城県、盛岡県とはいわずに岩手県といった具合だが、特に官軍の最大の攻撃目標だった会津藩に至っては城下の若松市に県庁が置かれず、わざわざ福島という僻村のような土地に県庁をもってゆき、その呼称をとって福島県とした。南部藩は賊軍と見られていたので、八戸の小南部領だけ切り取るように青森県に放り込むという嫌がらせをしたのである。
 明治政府が好悪の感情のみでねじ伏せるように決定したという、民主主義から程遠い、現在ではまず考えられない制定の仕方に驚き呆れてしまった。
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 1970年に開催されたワイト島ポップ・フェスティバル、4日間で60万人を集めたと言われる。

 この伝説のロック・フェスティバルが、エマーソン、レイク&パーマー(Emerson,Lake&Palmer)の事実上のデビュー・パフォーマンスとなった。
 その時のラスト・ナンバー「ロンド」のノー・カット版をYouTubeで初めて見た。アップした人は、どこから入手したんだろう?

 音と映像がズレまくっているが、当時の彼らのほとばしるような勢いが、十分に伝わってくる。(この頃は、ナイフ刺しとオルガン乗っかりを、ドラム・ソロの前にやっていたんだなぁ!)

 テーマの一部でグレッグ・レイクガがベースを間違え、その直後にカール・パーマーが険しい表情で睨み付ける。その後、グレッグが、チラリと情けない表情を見せるが、よくこんな瞬間を捕らえたものだと思う。

■NEC語学友
出演:ゴダイゴ


■ネスカフェ


■ネッスル ブライト
出演:芥川也寸志


■パートナー
出演:かとうかずこ 歌:梓みちよ


■テクニクス カセットテープ


■テクニクス コンポ
出演:小林亜星&すぎやまこういち


■カネボウ オリビア来日
出演:オリビア・ハッセー 


■キンチョール
出演:郷ひろみ


■くろがね学習机
出演:境正章&黒鉄ヒロシ


■サッポロ一番カップスター
出演:桜田淳子


■ザルツライオン
出演:細川たかし


■サントリー サマーギフト
出演:布施明


■サントリー メルツェンビール
出演:黛敏郎

夏の午前中

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まだ暑さも大したことはない。

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でも、午後になると、まだまだ30℃を越す日が続く。

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「これからだんだん暑くなるよ」
と夏の光が語りかけてくる。

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空に向かって伸びた百日紅の枝。白い花が気持ち良さげだ。

鹿児島の夏は、7月末の10日連続猛暑日の頃がピークだった。
空気がきれいなので、都会の暑さに比べると、さわやかだ。

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そのこととは関係ないのだが、
猛暑日を知らずに枯れてしまったムシトリナデシコ。
どうにも捨てられないのだ。

  ※この花が元気に咲いていた頃の記事です

懐かしいCM 1978年

■ミツカン 味ぽん
出演:三波伸介


■オロナミンC
出演:小林繁、高田繁、張本勲、柴田勲、堀内恒夫、大村昆


■カシオミニ 
「うす~い3.9ミリ名刺判」
 薄さを強調した画面構成になってますが 3.9ミリ。当時はこれが極薄だったのです。


■キャノン計算機
「計算機」という呼称、そして機種デザインが時代を物語ってますね。


■サンテS
出演:三浦友和
 セリフも表情も、実は本人も恥ずかしさを押し隠して演技してたんでしょうね。当時は、こういう二枚目像が求められていたのです。


■ハウス ジャワカレー
出演:千葉真一、野際陽子
そう、あの頃、この2人は結婚していたのです。若くて素敵ですねぇ!

出演:キャンディーズ・岡田奈々・山口百恵・桜田淳子・森昌子・浅野ゆう子・ピンクレディー・ 高田みづえ・松本ちえ子・岩崎宏美・石野真子・高見知佳・大場久美子・榊原郁恵

 指宿市にある知林ヶ島。1997年に制作されテレビドラマ「青い鳥」で全国的に有名になったらしいが、僕はそのことを知らなかった。小学校の遠足で長崎鼻に行ったとき、その帰りに、遠くから見て説明を受けた微かな記憶の中にその島がおぼろげに存在するだけで、名前さえ忘れていた。

 福岡から帰省中の親友N君が、ふるさと滞在最終日の今日、鹿児島中央駅17時50分発の新幹線に乗るまでの時間がすっぽり空いたとの電話を朝受け、共通のテーマになっている鹿児島探索をしようということになり、その島に行ってみることにした。 

 鹿児島湾(錦江湾)に浮かぶ、周囲約3km、面積約52ha、最高点約90mの無人島。大潮または中潮の干潮時には、世界でも珍しい長さ約800mの砂州(砂の道)が出現し、島まで歩いて渡ることができる。

 駐車場に着いたのは午後2時ごろだった。

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 風の強い中を田良岬の砂浜に歩いて行くと…、

 お目当ての知林ヶ島が見えてきた。
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 果たして、砂州の小道は現れているのだろうか…。潮の干潮時刻など何も調べずに、出発後に行き先を決定したので、全ては運任せなのだ。

 さらに歩いてゆくと、こんな立て看板があった。
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「はかない」という言葉が印象的だ。

 どうやら、砂州は現れていないようだ。
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 これから、潮が引いてゆくのだろうか? それとも満ちてゆくのだろうか?
背中に「知林ヶ島」と書いたシャツを着ていた60代ぐらいの監視員と思しき男性が立っていたので訊いてみると、今が干潮なのだが台風4号で砂が流され、砂州がつながらないのだと説明してくれた。

 ― 台風で大切な自然が破壊されたのだろうか?

 心配してしまったが、北側の錦江湾内部からの潮流によって砂が運ばれて、通常冬ごろまでには砂州が形成されるのだそうだ。

 その後、僕らは近くにある魚見岳へ登ってみることにした。標高214.8mという低い山ではあるが、付近に高い山が無いので、周囲が良く見渡せる。山頂付近まで車で行けるのが有難い。

 魚見岳山頂から見た知林ヶ島。
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 海面下に砂が盛り上がり、不完全ながら砂州が形成されつつあるのが分かる。

 帰宅後調べてみたら、知林ヶ島のホームページがあって、なぜ砂州ができるのか、いつ行けば見られるのか等、詳しい解説が出ていた。最新の砂州情報も出ているので、次は事前にこれをチェックしてから行こう!
知林ヶ島のホームページ
 今朝9時ごろ、福岡から帰省中のN君から電話。17時50分鹿児島中央駅発の新幹線で福岡へ向かうまで時間が空いたので、親友同士共通のテーマになっている「鹿児島探索」をしようという誘い。

 今、鹿児島のラーメンで最も気に入っているのが、新栄町にあるアイアイラーメンの「黒とんこつラーメン」。通常は夕方6時からの夜メニューにのみ出てくるのだが、お盆の間(13・14・15日)だけ、お昼に登場するとのことで、最初の訪問先は、迷わずアイアイラーメンに決定。

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 まろやかで豊かな味の豚骨スープにマー油がふりかけられ、トッピングされた辛味噌が味を引き締める。麺は鹿児島では珍しい固めの細麺。
 味噌味の好きなN君も大満足。6月に行った某店のラーメンも味噌ベースだったが、
「こっちのほうが遥かに美味しい。比較にならない」
 と言っていた。これは推薦した僕も嬉しかった。

※なお「6月に行った某店」については、ここには全く書いていない。いつか再び行ってみて、美味しいと感じたときには、書いてみようと思っている。

 腹ごしらえを終えた後、指宿市の知林ヶ島へ行くことに決定。干潮時のみ、島と薩摩半島の砂浜を小道のように結ぶ砂州が現れるという不思議な島である。
 ビリー・ジョエルは、ソロ・シンガーとしてデビューする前、Attilaというハード・ロック・バンドを結成している。メンバーは、ヴォーカル&オルガンのビリーとドラムのジョン・スモールの2人という極限的最小ユニット。オルガンにディストーションをかけ、ギターライクなサウンドに仕上げていた。

 1970年に、1stアルバム“Attila”をEpicからリリースしている。日本ではCBSソニーから発売され、ポップ誌『ミュージック・ライフ』の広告ページで小さく紹介されていたのを見て、その存在を知った。雑誌に掲載されたのは、その広告のみで、アルバムについてもバンドについてもレビューは無し。つまり、完全に無視されていたと思う。

 アルバム“Attila”を初めて耳にしたとき、かなり興奮したような記憶が残っている。中学3年生だった。ハード・ロック、そしてキーボードに目覚めた頃で、ギターに対しては敵愾心と憧れの入り混じった複雑な気持ちを抱いていたので、オルガンでもギターみたいなサウンドが出せ、華麗なテクニックを見せ付けることが可能だということを実際に示してくれただけで、快感を覚えた。

 その後、ハード・ロックからプログレッシヴ・ロックへ、そしてクラシック近代、現代音楽へと興味が移り、音大入学を目指して受験浪人していた19歳の頃(1975年)、“Attila”への興味も完全に失せアルバムを売り払ってしまった。

 その2年後、ビリーは『ストレンジャー』のヒットで広く名前を知られるようになる。アルバムを手放したことを後悔した。Attilaのアルバムは復刻されず、現在でも入手困難となっている。ブートレッグで入手できるという話も聞いたことがあったが、常に情報収集するほどの熱意までは持ち合わせていなかった。

 アルバム“Attila”を手放してから約30年。その中の4曲を視聴できるサイトを見つけた。
こちらをクリックすると、そのサイトが開きます

 不思議と懐かしさは余り感じなかった。中学生だったころの感じ方と現在では、大きく変化してしまっている。その後の成功のことも知ってしまった後では、「ハード・ロックには向かない声で、無理して歌っている」という受け止め方しかできなかった。ギターみたいな音も、せっかくハモンド・オルガンを使用していながら勿体無いとしか思えない。

 やっぱり、ビリー・ジョエルは、その後のスタイルが似合う。Attilaがなまじ中途半端な成功などしなくて良かったと思う。
こちらをクリックすると、YouTubeの動画を見ることができます。

 阿久根から帰る途中、串木野の「味工房みその」に寄って、まぐろラーメンを食べた。1度食べて実に美味かったので、その味を同行の親友にも体験してもらいたかった。僕自身串木野まで足を伸ばすことも滅多にないので、その少ない機会にこのラーメンを食べないという選択肢は無かった。

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 阿久根に行ったついでに、同行した親友N君の中学時代の思い出の場所「田代そうめん流し」に寄った。

 石積みの門に取り付けられた古びた鉄の扉に導かれるように駐車場に入ってゆくと、
森に抱かれた中に杉林が見える。
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 その林の下に、そうめん流しの小屋がある。

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 阿久根市まで行ってきた。福岡から新幹線で帰省の友人N君を、到着時刻の12時半に中央駅まで迎えに行き、そのまま直行で阿久根市に向かった。福岡の自宅近くにあるラーメン屋をしている沢田さんの奥さんの実家が阿久根市高之口。そばにある岩浜で磯遊びをしようと友人が誘われていて、僕にも声をかけてくれたもの。

■大小の岩がゴロゴロと転がっていて、ほとんど誰も行かない場所。
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■岩浜からは、佐潟鼻がひょうたん島のように見えていた。

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 28歳の時から、長野県上田市に移り住み、ピアノを教え始めた。それまで、古典音楽をどう弾くかということに意識が強く向かったことはなかったのだが、必要にせまられてピアノの演奏法に関する書籍や、様々なピアニストの録音を買い漁るようになった。

 モーツァルトのピアノ曲の録音に関しては、まず最初に惹かれたのが内田光子さんの演奏だった。1音1音の粒立ちがはっきりしていて、フレーズの1つ1つに煌くような個性があり、内面から強烈に照射されるエネルギーに感銘を受けた。

 内田光子さんの演奏によるモーツァルト楽曲が、YouTubeに1曲だけアップされている。クラシックに興味の無い人も、チラッとでも聴いてみてください。もの凄い集中力から繰り出される類稀な音の魅力が感じられます。

■モーツァルト作曲 ピアノ協奏曲第9番変ホ長調K.271

第1楽章


第2楽章(part1)


第2楽章(part2)


第3楽章


※内田光子
 ショパンコンクール第2位という、日本人最高位を射止めた後、日本を出てイギリスに移住。ロンドンに定住して、世界的に活躍している。ザルツブルグ音楽祭など、欧米の一流の音楽祭の常連に名前を連ねる。

 内田光子の名前を世界的に高めるきっかけとなったのは、W.A.モーツァルトのピアノ協奏曲とピアノ・ソナタの全曲録音である。その成功を引っさげ、モーツァルト没後200年にあたる1991年に、サントリーホールでオール・モーツァルト・プログラムによるリサイタルが数回にわたって行われた。
 ピアノという楽器名は、Pianoforteの後半を端折ったものだということは、一般的に知られているのではないかと思う。ピアノ以前の鍵盤楽器チェンバロが、鍵盤へのタッチによって強弱表現ができなかったのに対し、新たに開発されたこの楽器は、それが出来た。そこで、まさしく「弱く、強く」という意味の piano とforte というイタリア語を組み合わせた名前になった。

 のであるが…、

 実は、後にPianoと呼ばれるようになる楽器の先祖がこの世に登場した頃は、pianoforteではなく、前後が逆の fortepiano と呼ばれていて、そして音色も、現代のピアノとは大きく異なっていたという事実は、クラシック音楽に興味の無い人には、あまり知られていないのではないだろうか?

 ピアノという楽器がこの世に登場し、改良を重ね、現在のような音を出すようになるのは、リストやショパンの時代からで、ベートーヴェンの時代までは、現代のピアノとは全く違う音を出す、別な鍵盤楽器だったと言えるかも知れない。

こちらからフォルテピアノの演奏動画を見ることができます

蜜柑山さん

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全国で2世帯だそうです。
■全国の苗字
↑ サイト内の左側にある「1.苗字検索」をクリックして、検索窓に「蜜柑山」を入力してみてください。

 初めてのぼる屋のラーメンを食べた。1947(昭和22)年創業の鹿児島市内でいちばん古いラーメン屋である。木造2階建ての古い建物は、創業時そのままの物と思われる。県外のファンも多い。

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■この店構えにして有名店なり。

 創業者の故・道岡ツナさんが横浜で看護婦をしていたときに、患者だった中国人料理人から、お礼としてスープの作り方を教わった。それをもとに帰郷後、試行錯誤し「のぼる屋」独自のラーメンを完成させた。

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■大きなどんぶりにスープたっぷりの大盛りサイズで出てくる。

 スープは、豚骨が中心で、トリガラや野菜も使い(魚介系も使われていると聞いたことがある)、じっくり炊き出した優しい風味。麺は鹹水を使わない白っぽい太麺。道岡さんが鹹水嫌いで、こういう形になったらしい。太いラーメンというより、細いうどんにモチモチとした食感が加わったという表現のほうが近いかもしれない。その当時の味を、割烹着姿のおばあちゃん達が現在に至るまで、変わらず守り抜いている。メニューはラーメンのみで、1杯千円。この価格もしばしば話題になる。

 僕は、生まれてから19歳までを故郷・鹿児島で過ごしている。その間、何度となく鹿児島のラーメンを食べているわけで、その体験から何となく「鹿児島ラーメン」のイメージが形作られていた。とんこつベースの白濁したスープに白い中太のストレート麺、モヤシ、ネギ、少量のキャベツにチャーシューが2切れ程トッピングされている。僕にとっての鹿児島の平均的かつ懐かしいラーメン像は、そんなところである。
 「のぼる屋」のラーメンは、そういったイメージからはかけ離れている。鹿児島ラーメンのルーツとする見方もあるが、この独特のラーメンは、他店へほとんど影響を与えていないので「ルーツ」とは言えないだろう。それは、前日に初めて食べた昭和25年創業の「こむらさき」にも言えることで、他とは全く違う独自の麺料理という感じだ。
 
 店の雰囲気とラーメンには、何か共通の風情があるように思えた。のぼる屋が創業したのは、僕が生まれる遥か以前の昭和20年代初期。現在とでは、食習慣もかなり異なっている。料理に対して人々が求めるものもかなり違っていたような気がする。60年間も同じ味を守ってきたラーメンを食べながら、戦後間もない鹿児島を想像し、不思議なタイムスリップ感に取り付かれていた。麺もスープも、一口で鮮やかな印象を残すような強烈な個性をアピールしてはこない。あっさり味のスープは、地味でまろやかな中から、じわっと豊かな自然の旨みが伝わってくる。
 決して綺麗とは言えない古い店舗で、メニューは1杯千円のラーメンのみという、商売としてはかなり難しい条件の下で、時代の変化という潮流に呑み込まれることなく人々に支持され続けてきた事実に対して、敬意を払わずにはいられなかった。
 鹿児島のことを知らない方のために一言説明を入れておこう。天文館というのは鹿児島随一の繁華街である。
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 駐車場を出て、まずラーメン屋に向かった。昭和25年創業の老舗ラーメン店「こむらさき」。生まれる前からあったわけだが、この店に行ったのは、今日が初めてだった。
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 インターネットのラーメン・サイトで何度も見ているので、初めて見たという気がしなかった。
 賛否両論が賑やかな店なのだが、両極端に分かれている評判ほどに「不味い!」とも「美味い!」とも思わなかった。今度は、夏とは体が全く違うものを求める真冬に行ってみようと思う。

 次に向かったのはジュンク堂書店。
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 お目当ては、ミクシィ内「鹿児島市常盤町」のコミュニティで知り合った若手詩人・三角みづ紀さんの詩集。詩集のコーナーに向かったら、「カナシヤル」と「幸せのカタチ」の2冊が平積みされていた。
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(帰宅後、「幸せのカタチ」を読んだのだが、幼少時から現在に至るまでの包み隠さない心模様が、文面からものすごい勢いでに伝わってきて…、その迫力に緊張しっぱなしのまま、一気に読んでしまった。)

 書店を出た後、3年ぶりに、カキ氷「白熊」で有名な「天文館むじゃき」へ。
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中華料理屋なのだが、店頭にはでっかい白熊人形が設置されている。今や「天文館むじゃき」と言えば「氷白熊」というほどの、が最大の人気メニューなのだ。
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 コンデンスミルクを絡めたこのカキ氷は、氷のきめが細かく練乳もたっぷり使ってあるので、ずっしり重く、見た目以上に質量があるため、一気に食べると、舌先がヒリヒリし、真夏の熱気の中でさえ体が冷えて、頭が痛くなることさえある。
 多少氷が溶けてもかまわないので、ゆっくり、ゆっくり。そこに埋め込まれた南国生まれのフルーツにわが身を重ね、北極の氷で冷やされてゆく自分を想像しながら、目の前の相手との会話を楽しんでいると、体が適度に冷やされ、店の外に出ても、暑気が気にならないぐらいの元気が取り戻せる。

 僕が店を出る頃には、待ち客が行列を作っていた。
 案内してくれた女店員さん(あるいは女将さん?)に、
 「繁盛してますね」
 と話し掛けてみたところ、
 「まだいいほうですけどね」
 「へえ!もっと混むんですか。全国的に有名ですからねぇ!」
 「何が切っ掛けになるか分からないです。昭和47年頃までは、お隣の宮崎の人さえ知らなかったんですから」
 とのこと。

クマゼミ

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 今月3日の午後、とあるアパートの階段の片隅にクマゼミがとまっていた。足が動いていたが、触れても飛ぶ気配が無い。衰弱し切って命を終える寸前だったようだ。
 その日から1週間前の7月26日。アスファルト道路の片隅で死んでいたアブラゼミも、たぶん同じような最期を迎えたのだろう。アブラゼミが愚鈍だからそんな死に方をしたというわけではなさそうだ。

■生息域の拡大
 近年の温暖化で、植物や昆虫の生息域の北上がたびたび話題として取り上げられるが、このクマゼミも例外ではなく、南方系のこのセミも、関西で生息数が増えたとか、関東でも見られるようになったなどという話をたびたび耳にする。どうやら、北限は茨城にまで達した模様。日本海側では、北陸の石川県でもクマゼミの鳴き声が確認されているらしい。
 最近になってクマゼミが入り込んできた地域では、クマゼミの鳴き声を知らず、どこかのサイトで、「最初はセミだと思わなかった」という書き込みを目にした。
 こちらのサイトでどうぞご確認を…。
「日本のセミの鳴き声」より クマゼミ

■クマゼミによる光フィーバー断線被害
 クマゼミの生息域拡大で、増えているのが光ファイバーの断線被害。枯れ枝に産卵する習性を持つクマゼミが、幹線から枝分かれした各家庭への引込み線を枯れ枝と勘違いするらしい。大阪市立大学の沼田英治教授(動物生理学)によると、卵を産み付ける硬い産卵管(太さ約1mm、長さ1cm以上)は、光ファイバーの芯線(シリカガラス)を覆うポリエチレンを容易に突き刺さる。少しずつ移動しながら、何回も突き刺して産むのだという。

 被害が目立ち始めたのは、家庭向け光ファイバーが普及し始めた2002年ごろから。従来の引き込み線は、設置作業がしやすいよう、小さな溝があった。セミはこの溝に産卵管を刺していたため、同社は溝なしタイプを開発。さらに、産卵ピークが過ぎた昨年8月末から、心線の両側に樹脂の防護壁を埋め込んだ改良型を使い始めた。NTT西日本ネットワーク部の浦川幸司主査は、「この夏は効果を見極めたい」と話している。

※ソース
『クマゼミが光ファイバーに産卵 断線被害続出に対策腐心』[asahi.com]
 皆さんお馴染みのマジシャン、セロ。マジックのネタも凄いが、彼の描き出すファンタジーからは、マジックの才能だけなく、幅広い才能を感じる。

 ところで、この人を見ると、いつも演出家の宮本亜門氏を思い出します。

■携帯電話


■セロ爺さん


■セロ爺さん ボーリング場へ行く


■蕎麦屋にて


■1万円札に油性ペンで落書き


■チューインガムと千円札


■水族館にて


■横浜中華街にて インコはどこへ?




 ミュージシャンと呼ばれる人々は、全てあるジャンルの中で語られるが、その中でも“天才”と呼ばれる人たちは、既成のジャンルから超越した唯一無比の世界を持っているように思える。僕にとって、キース・ジャレットは、その筆頭格に挙げられる存在だ。

 好きなジャズ・ピアニストは多数存在するが、この人の演奏は「ジャズを聴いている」というより、「キース・ジャレットを聴いている」という感じにさせられる。
 自己陶酔の極みのように、椅子から立ち上がって身をくねらせ、奇声を発しながらの、不自然な力が入った指の使い方などは、あまり好きではないが(これは単なる好みの問題であり、是非を問うものでは無い。逆にそこが好きだという人も多く、それを否定するつもりは無い)、目を閉じて音だけ聴いていると、1音1音に独自の生命が宿っているかのように、心に自然に響いてくる。
 ゲイリー・ピーコック、ジャック・デジョネットとのスタンダーズ・トリオ、最高!

■'Standards live '85 1/10

幼き兄弟

 夕方6時頃、僕は、鹿児島市の中心から少し離れた南部の町を歩いていた。

 捕虫網を振り回してトンボを追いかけている少年が目に入った。

 懐かしい光景だな…、と思った。

 その少年の後を、楽しそうにトコトコと付いてゆく子供がいた。弟だろうか、6歳と3歳ぐらいに見えた。
 その幼い男の子が、こんな言葉を楽しげに繰り返し発していた。

 「ころばぬ・さきのつえ。ころばぬ・さきのつえ…」

 聞き覚えた響きを、そのまま発しているのだろう。
 網を振り回す兄の後を、呪文のように繰り返しながら追いかけるその姿に、
 思わず吹き出してしまった。

 僕は2人の様子を写真に撮りたくなって、カメラを向けた。
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 気配を察した2人は、背中を向けてしまった。

 そこで、「写真撮らせてね」と話しかけてみると、
 兄は「だめ~!」とひと声発して逃げ回り、弟は、ただただはにかんだ。

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 「ありがとう! いい顔してるよ! 『転ばぬ先の杖』なんて、よく知ってるね。お母さんが、そう言ってたの?」

 そう言いながら、再びカメラを向けると、

 2人ともしばしキョトーンとした後、

 「どうして、また撮るの?」

 と、言いながらも、それぞれちゃんとポーズを取ってくれていた。

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 ありがと!
 Bryan Adams,Rod stewart&Sting

 こんなセッション、あったんだなぁ…。
 
 ドキュメンタリー・タッチの編集が魅力。ファースト・フレーズは、たぶんリハーサル映像と差し替えられている。初めて見たときは、いつ曲が始まったのか判らなかった。

 3人が実に楽しそうに歌っている姿が印象的。



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