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 昨年秋、鹿児島市宇宿の住宅地に、「二軒茶屋温泉」という名のちょっと変わった銭湯があるのに気づいた。

 どんなふうに変わっているかというと、まず規模がまるで普通の民家程度であること。駐車場には、車4台しか停められない。もうひとつは、「女性専用」であること。

 そのどちらも、これまで見たことがなかったので、ちょっと不思議な気分になった。こんなにひっそりとした佇まいで、経営は成り立っているのだろうか? 
 
看板(29%)


建物全体の様子(29%)


出入り口(29%)



 気になったので、ネット検索してみたところ、あるサイトに、こんなふうに書いてあった。

「女性専用は全国でも初めてじゃないかしら。狭くて女ぶろしか造れなかったの」と番台の大薗トキ子さんは笑う。
 昭和28年から営業していた銭湯を訳あっていったんは閉めたが、ここの泉質にほれ込んでいた常連客から再開のラブコールが起きたという。

「二軒茶屋温泉でないと足が治らないと言われてね」

 湯は循環でなく、どんどん温泉がわき出て流れているので、いつも清潔な状態。

「湯の色がきれいでしょ。胃腸にいいから飲んでもいいのよ」と教えてくれた常連客のご婦人の肌はツヤッツヤ。


 別なサイトには、このような説明が出ていた。
   ↓

 全国で初めてという、女性のみ入湯可の温泉。掛け流しの温泉は少し緑がかっていて、特にリウマチや皮膚病に効果があるとか。わざわざ遠来の湯治客も絶えない、女性の強い見方です。

 泉質 塩化物泉
 効能 リウマチ、皮膚病、切り傷 等
 施設 浴槽1

 営業時間 09:00~22:00、金曜休、330円
 所在地 鹿児島市宇宿1-13-15

   ※国道225沿いのマツダ自動車を右折)
   ※市電二軒茶屋電停から新栄町方面へ徒歩2分。
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幸せを運ぶ苗字

喜さん(29%)


 読みは2種類で、「よし」さん、あるいは「き」さん

 全国に70世帯

幸さん(29%)


 7種類の読みがあります。

 「さいわい」さん、「さち」さん、「さじ」さん、「ゆき」さん
 「みゆき」さん、「こう」さん、「こお」さん

 全国に1219世帯

幸地さん(29%)


 読み方は5種類

 「こうち」さん、「こおち」さん、「こち」さん
 「ゆきち」さん、「ゆきじ」さん

 全国に829世帯


幸福さん(29%)


 「こうふく」さん

 全国に116世帯ですが、鹿児島ではそれほど珍しくないので、
 ほとんどが鹿児島出身者かも知れません。

 高校の同期生に、この苗字の生徒がいました。

寿福さん(29%)


 「じゅふく」さん

 全国に 142世帯
 この苗字も、鹿児島では珍しくないので、
 鹿児島出身者が100%近くを占めていると思われます。

上運天さん(29%)


 「うえうんてん」さん、「かみうんてん」さん、「じょううんてん」さん。

 全国に 183世帯

善福さん(29%)


 「ぜんぷく」さん

 全国に99世帯。

福増さん(29%)


 「ふくます」さん

 全国に101世帯。

寶蔵さん(29%)


 「ほうぞう」さん

 全国に84世帯


 善福さん、福増さん、寶蔵さんも、ほとんどが鹿児島発祥ではないかと思われます。

不思議な標識

   こういう一見謎めいて見える標識って…、

 
   正直言って、 わき見運転を誘ってるように思えるのだが…。


不思議な標識(29%)


 小学校低学年のころまで、作文の文末によく「楽しいでした」「嬉しいでした」という表現を用いていた。それは僕個人だけではなく、周囲の子供たちもそうだったので、それで正しいのだと思い込んでいた。
 ある日あるとき、高校の体育教師だった父から「楽しかったです」が正しいと指摘されたことがあったのだが、そのときは「楽しかった」のあとに「です」をくっつけることが、木に竹をつぐような固い表現に感じたものだ。そのうち「楽しかったです」という表現に慣れ、小学校高学年になるころには普通に「楽しかったです」と書くようになっていた。

 それから何十年も経ってそのことを懐かしく思い出すことがあったのだが、なぜそんな表現を使っていたのかということまでは考えたことがなかった。

 平成16年の秋、28年ぶりに故郷鹿児島にUターンし、インターネットを繋いでからその理由が分かった。どこかのサイトに「楽しいでした」というのは鹿児島の方言だと書いてあったのだ。
 ためしに鹿児島関連のサイトを覗いてみると、小学生だけでなく高校生も大人も、普通に「楽しいでした」と書いている。さらには、ずっと地元にいる30代の知り合いに「楽しいでした」について話してみたところ、一瞬固まってしまった。

 「え? 『楽しいでした』って、方言なんですか?」

 現在に至るまで「楽しいでした」を正しい日本語だと思っていたのだ。

 ただ「楽しかったです」という表現も、どこか熟していない感じがする。古くは「楽しゅうございました」と言っていたわけだが、それだと現在では古語的なニュアンスが感じられ現代文の中では違和感がある。たぶん、それに代わる表現として比較的新しく使われだしたのではないかと睨んでいる。

 僕自身、「楽しかったです」という表現はやや稚拙に感じられるので、「楽しいひと時でした」とか「楽しいライヴでした」というように、名詞にかける形で使っている。

 今日、ふと思った。

 「きれいでした」とは言っても「きれいだったです」は言わないよな…。

 単に慣用されているかそうでないかの問題で、どっちが正しいということではないのではないか、とも思ったが…。

 「きれい」

 たまたま語尾が「い」になっているが、形容詞ではなく「きれいだ」「きれいな」という形容動詞の一部であり「嬉しい」「楽しい」などの形容詞ではないのだ(笑)
 伝説となったウッドストック音楽祭が開かれたのが1969年。当時僕は中学2年生で、同じ中学の仲間たちとバンド活動を始めた頃だった。日本では、ロックが今のようにメジャーではなく、海外から伝わってくる情報も極めて少なかった。ホームビデオが普及する前のことで、衛星放送もインターネットもこの世に存在していなかった時代。98年に廃刊になってしまった月刊誌「ミュージック・ライフ」の発売日や、レコード会社から送られてくる会員誌などをいつも心待ちにしていた。ロック演奏の映像など、朝7時20分からのテレビ番組「ヤング720」で、たまに数十秒流れる程度だった。
 そんな状況だったから、映画「ウッドストック」の国内上映をどれほど待ち焦がれ、どれだけ期待に胸を膨らませたことか…。

 当時は全国同時封切ではなく、まず東京・大阪などの都市圏で上映され、地方での上映までには時間的なズレがあり、鹿児島の映画館で観たのは、70年、中学3年のときだった。

 以下は、Wikipediaからの抜粋

 === === === === === ===

 死後35年以上経った現在でも、「天才ギタリスト」として多くのミュージシャンに多大な影響を与え続けている、現代的ロックギターのパイオニアの一人。メジャーシーンでの活動期間がわずか4年ほどだったにも関わらず、後世のギタリストに与えた影響が比類のないほど絶大であることから、史上最高のロックギタリストと呼ばれることが多い。

 ヘンドリックスはギターの音質を電気的に変化させる機材(いわゆるエフェクター)を多用することで知られた。スタジオ録音はもちろんステージでもエフェクターを使用し、従来のギタリストでは考えられなかったほど音質に豊富なバリエーションをもたせている。

 ヘンドリックスのソロプレイは、例えば後に登場してくるハードロック/ヘヴィメタル系ギタリスト等と比べると特に速弾きとは言えず、運指もやや正確さに欠けるところがある。しかしギターという楽器が本来備えている音に加え、大音量に付随する電気的なノイズまでも駆使し、音色を刻々と変えながら、まるで自分の手足のごとくギターを扱い、即興で感情の高まりを表現していく能力により、現在もヘンドリックスに並ぶロックギタリストは出現していないと評価されることもある。
 1969年8月に6人編成でウッドストック・フェスティバルに出演しトリを務め、音楽史に残る名演「The Star-Spangled Banner」(星条旗、アメリカ合衆国の国歌)を演奏。フィードバックやアーミングといったエレクトリックギターの特殊奏法の限りを尽くし、爆撃機が空襲を行い民衆が泣き叫び逃げまどう様子を、音で完璧なまでに再現してみせた。これは泥沼化して先が見えないベトナム戦争と、希望のない戦争にのめり込むアメリカ合衆国への痛烈な批判だった。後年、ミック・ジャガー(ローリングストーンズ)はヘンドリックスのアメリカ国家演奏を「1960年代最大のロック・パフォーマンス」と賛美している。



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