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呼び声

 土曜日の夕方、僕は鹿児島市の中心地から少し外れた古い商店街を歩いていた。

 昔は賑わいを見せていたであろうその街も、今では下ろされたシャッターが目立ち、米屋、煙草屋、花屋、クリーニング屋などが、ぽつりぽつりと店を開いている状態。

 猛暑も日が傾くにつれ峠を過ぎ、近所のおかみさん同士の立ち話がどこからか聞こえてきた。

 ふと会話が途切れ、誰かを呼ぶ声が響いた。

 「おねえちゃーん」

 僕にとって、それは単なる環境ノイズだったのだが、「おねえちゃん、おねえちゃん、おねえちゃーん」と、繰り返されるうちに、それが言葉として耳に入ってきた。何事だろうと思い振り返った。

 すると…、

 声の主の視線は、まっすぐ僕を捕らえている。

 尚且つ、それでも僕を「おねえちゃん」だと思い込んで話しかけてくる。

 そこでハタと気づいた。

 そのとき僕は、炎天下を長時間歩くため、バテないように頭にタオルを巻き、アラブ人女性のように顔が隠れるような格好をしていた。男性としては肩幅が狭いほうで胸板も薄い(そのせいか、ほんのたまに、後姿を女性と見まがわれることがある。後ろから「おばちゃん」とか「奥さん」とか呼びかけられてムッとしたこともある)。

 そこで、ちょっとイタズラ心が…。

 頭に巻いたタオルをバサッと取り払いつつ、

 「おねえちゃんじゃなくてオジサンだけど」

 御婦人お二方、一瞬「ハトに豆鉄砲」状態。ちょっと遅れて大爆笑。

 「あはははは~~!」

 「こんなオレンジ色のティーシャツなんか着てるから、女性だと思ったんでしょ?」

 「いや、しぐさがなんか」

 しぐさ?

 仕草が女性っぽいわけがない。僕はただ歩いていただけなのだ。



 *** *** *** *** 



 ちょっと 後ろ姿なんぞ 鏡に映して撮影してみた。


後ろ姿(30%)


 髪が長いのは、単に床屋に行くのをサボっているため。




 顔はこんなだし…。





PIC_0020(30%)
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 我が家から歩いて2~3分のところに、こんな史跡が、なにげなくあったりする。

石碑 2(30%)

説明看板(30%)

 富国強兵・殖産興業政策を推し進め、大砲を造るための反射炉をはじめ、溶融炉、硝子窯など多くの設備を備えた一大工場群を築いた。

 これらの工場群はのちに「集成館」と命名され、集成館でおこなわれた様々な事業は「集成館事業」と総称される。

 斉彬がこれらの事業を推し進めた背景には、産業革命以後活発な西欧諸国の植民地活動にあった。
 1840年中国とイギリスの間に勃発したアヘン戦争によって、中国はイギリスに完敗。大国中国の敗戦によって、いよいよその触手が日本へと向けられるであろう危機感を感じた斉彬は、日本を西欧諸国のような強く豊かな国にしなければならないと考え、幕府や大名へ富国強兵策を提唱し、自らも集成館事業を興した。 

 人材登用においても、西郷隆盛、小松帯刀等、優れた人物を世に出し、徳川家から家定の正室を求められた際には、分家である今和泉島津家の娘一子の資質を見抜き養女とし、実子として徳川家に送り出している。

 *** *** *** ***


 「英明」とは、こういう常人には成し得ぬ優れた業績を残した人物のことを言うのであって…。

 NHK大河ドラマ『篤姫』では、将軍という座に在りながら「うつけの振り(ドラマでの設定)」をしていた家定を、「世に噂されているほどの暗愚ではなかった」というのならまだしも、篤姫をして「英明」とまで言わしめている。あれは飽くまでもドラマでのキャラ設定であり、実在した家定が「英明」だったなどとは誰も思わないだろうが、見ていてどうも抵抗を感じていた。

 孤独だった家定が、聡明な御台所に対して次第に心を開き、愛が育まれてゆくが、その愛も突然の死により引き裂かれる。加えて、養父斉彬もほぼ時期を同じくして亡くなり、篤姫は一度に拠所を失うことになる。
 このあたりの展開は、歴史ドラマという形を借りてはいるが、人間の心理を自由かつ大胆に描き出す「仮想空間における愛のドラマ」であり、そういう意味で面白く出来ていると思う。
 2人の愛が次第に深まってゆく様子が描かれるにつれ、抵抗を感じていたはずの「非現実的な家定のキャラ設定」も、史実を此処其処にちりばめながらの大胆な発想力に拍手喝采しながら楽しむようになっていた。

 ま、そんなわけで、今ではスイッチを入れ替え、エンターテインメントとして毎回楽しみに見ている。ちゃんと、目に涙なぞ溢れさせたりしながら…。

梅雨明け

梅雨明け宣言01(30%)


 長野県に住んでいた頃、地域文化活動グループで共に活動していたある人が言った。

 「『風土』という言葉は『風』と『土』の2つの字でできている。土だけでは成り立たないということだ。この地域で生まれた俺たちが『土』だとすれば、他所から来たあんた方が『風』っていうことだな。」

 上手いことを言うものだと思ったが、鹿児島にいる現在、その言葉が感覚的に遠くなったことに気づかされる。

 信州と薩摩では、取り巻く自然も人の気質も大きく違う。毎年のように台風がやってきて暴風が吹き荒れるこの地では、信州の知人が口にした「風と土」の例えは、いさいさか色褪せてしまう。

梅雨明け宣言02(30%)


 理屈の好きな信州人に対し、薩摩っぽは「議をゆな」という言葉に代表されるように不言実行を好み、気の利いた事を言うことも苦手な人が多い。

 「オイどんが土で、ワイどま風じゃ。」

 などという言い回しは、不自然さを通り越して滑稽でさえある。その土地でこそ生きる言葉があるということだ。

梅雨明け宣言03(30%)


 本日、九州全域と山口県が梅雨明け。
 猛暑の予感。

 ラジオで地元の気象予報士さんが言っていたが、「入梅」、「梅雨明け」には気象学的基準が存在せず、「どうやらそう思われる」程度のものなんだそうだ。
加治屋町1(30%)


 鹿児島市加治屋町。

 写真中央やや右寄りに、維新三傑のうちの2人、西郷隆盛と大久保利通誕生地への案内板が立っています。この矢印の先50メートルほどのところに、西郷隆盛生誕地、大久保利通生い立ちの地(生誕地は高麗町)、維新ふるさと館などがあります。

 そして、この案内板の立っている場所。実は、ここが当ブログ運営者「めどう生誕地」なのです。

 写真、少し引いてみましょう。

加治屋町2(30%)


 駐車場に車が1台停めてある喫茶店。ここにかつて材木屋さんがあって、その2階がアパートになっていたのです。

 ここが自分の生誕地だと知ったのは、ほんの最近のことで、それまで「鹿児島市加治屋町で生まれた」という以上に詳しいことは知らずに生きてきました。生後4ヶ月で鷹師町に引っ越したため、何の記憶も残っておらず、しかも28年という長い間鹿児島を離れていたので、確かめる機会もなかったというわけです。

 ― その場所を正確に知りたい。

 それほど強い気持ちがあったわけではありませんが、どうでも良いというわけでもなく…、自分でもそのあたりが良くわからないのですが、両親から情報を得てその場所を絞り込むまでの過程は、十分楽しめました。


 *バイク屋さんとの会話

 「あの、つかぬことをお伺いしますが…」

 「はい」

 「昔、ここは材木屋さんだったのではありませんか?」

 「いえ、隣です。こちらが材木屋さんでした。『浜平材木店』という…」

 「そうでしたか! 私はそこで生まれたんです。2階を間借りしてたらしいてす」

 「ほう!」

 
 両親の口述の内容と、バイク屋さんの証言が一致した瞬間は、ちょっとだけ胸が躍りましたよ。

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