小松帯刀の生家・肝付家は、喜入領主であり、「一所持」と言われる家柄。
そんな名家の御曹司であったにも関わらず、幼少年期の「尚五郎」には、それに似つかわしくない、当時としては少し変わったところがあったようなのだ。
上級武士でありながら、威張ったところが少しも無く、商人のように近づきやすい雰囲気があり、そんなところから「お人好し」とも言われたが、それどころか「馬鹿ではないか」と陰口を叩く人さえいたらしい。
共を連れずに外出することは許されない身分なのに、彼は平気で一人で出かけ見聞を広めた。よく温泉に出かけては、身分も名も明かさず庶民と語り合い、世間を知ろうとした。
15歳のころからは、若い下級武士の集まり「誠忠組」とも交流するようになっている。当時、時期藩主をめぐる「お由羅騒動」で揺れていたころで、身分を考えると危険な行為とも言える。
彼の個性は、当時の「常識」から、大きく外れたていたのである。
大河ドラマ『篤姫』の前半で描かれた青春時代は、ほとんど「小松帯刀の青春」であり、そこに、幼少期の記録がほとんど残っていない「篤姫」をポンと放り込んで、「肝付尚五郎」の人間的魅力を「於一」と「尚五郎」というコンビに振り分けて脚本化してみたと…、そんな感じがする。
主人公は「篤姫」なので、尚五郎を中心に描くわけにはいかない。そんなこともあってか、ドラマに登場した尚五郎は、「於一」に振り回される少し頼りないボンボンのように描かれていたが、実在した肝付尚五郎は、その秀逸な気品漂う容姿や闊達な話し振りから、一度言葉を交わしただけで鮮烈な印象を残したらしい。
脚本家の田渕久美子さん…、少なくとも前半の「薩摩青春編」において、一番書きたかったのは「小松帯刀」なんじゃないのかな?
(つづく)
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