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城山展望所

  今月27日。


雲(36%切り抜き)


  雲の形に誘われて、

  城山展望所に行ってきました。

  今年は、何度行ったかなぁ…。

桜島 (50% 切取り シャープ6))

↑ ぜひ「クリック+最大化」して見てくださいませ。


  いつものように観光客らが、

  「大きいね」

  「立体感がすごくいい」

  などと口にしながら、

  見入ったり、写真を撮ったりしていました。


『篤姫』ポスター(30%)


  大河ドラマ『篤姫』のポスターが掲げられていました。

  今年は、鹿児島を訪れた人が、例年より多かったようです。


天然記念物 城山(30%)


  亜熱帯植物に覆われた城山全体が、天然記念物。



    ***  ***  ***



  今年は、いろいろなことがあり、忘れられない年となりました。


  静かに年を越します。


  皆様、お体を大切に…。


   
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名のような姓

高校の同期生に「ミツルくん」と呼ばれている男の子がいた。同級ではなかったので、ファーストネームで呼ばれていると思い込んでいたのだが、それが姓だと知ったときはちょっと驚いた。

満さん(30%)

 「名のような姓」をお持ちの方、けっこういらっしゃる。

豊さん(30%)

 豊さん

瑞穂さん(30%)

 瑞穂さん

和仁さん(30%)

 和仁さん

登さん(30%)

 登さん

民さん(30%)

 平仮名で「たみ」さんなら、昭和初期まではけっこういらっしゃったことでしょう。

隆さん(30%)
 
 中学・高校時代、そして故郷を離れての東京時代初期まで、親しく付き合っていた「隆」という名前の友人がいた。黙っていてもどこからかラブレターが舞い込むという、実に羨ましい美貌の持ち主だった。

 そんな彼も、24歳という若さで病魔に取り付かれて亡くなり、今では墓前に詣でるだけの付き合いとなっている。 

保さん(30%)

 その隆君のお父さんが「保」さん。

 同じ日に、この2つの表札を見たのだが、どうもそれが単なる偶然とは思えなかった。
 ついに、総集編も含めて全て終わった。

 連続ドラマを全編見通すなどという、これまでの人生に経験したことのないことを、やり遂げてしまった。舞台が、自分の生まれ故郷であり現在の住所でもある鹿児島だったので見始めたのだが、心に響く場面が多く、ドラマ自体の面白さに引き込まれてしまった結果だ。

 脚本家の田淵久美子さんが一番描きたかったのは、たぶん歴史そのものではなく、幕末という激動の時代に生きた「歴史上の人物」の心の奥だったのだと思う。「主人公篤姫」と架空の対面をさせることによって、歴史という座標から一旦取り出し、実際には語られなかった「一個人としての心の叫び」を描き出してみたかったんだろうな…、と、後半はそんなことを感じながら見ていた。

 ただ、それまでは効果的だった「架空の設定」も、江戸城無血開城あたりからは、天璋院を万能の主人公とするべく史実を苦し紛れにいじくり回しているように感じられ、なんと言うか、意味の無い「おもちゃのチャチャチャ歴史」を見させられているようで…、正直、ちょっと白けながら見ていることもあった。

 終盤で良かったのは、史実から完全にはみ出す「根こそぎ全く無かった部分」。ことに、天璋院が江戸城大奥を出てのち、「幼なじみ小松帯刀」が、迫りくる自らの最期を悟りつつ会いにくる場面が良かった。当然のことながら、それについては何の記録も残されてないので、「史実との違い」など何も気にすることなく見入ることができて、主人公と第2の主人公を演じた2人の迫真の演技に心が揺さぶられた。長いカットだったが、カメラを回しっぱなしの「一発録り」だったようだ。

 反面、二条城で徳川慶喜に大政奉還を迫る場面以外、小松の活躍がほとんど描かれていないので、それ以後「国政のことは二の次にし、篤姫のことばかりを案じ、行動する視野の狭い人」みたいな印象しか残らなかったのは、やはり残念。

 なんか、結果的に、何日か前の日記と、同じようなこと書き始めてるな…。

 えっと、まとまりないですが、今夜はそろそろ寝ます。
様々な時代の6人の演奏を聴き比べ。

アルフレッド・コルトー(1877~1962)



ラファウ・ブレハッチ(1985~ )



シューラ・チェルカスキー(1909~1995)



エフゲニー・キーシン(1971~ )



セルジオ・ティエンポ(1972~ )



マルタ・アルゲリッチ(1941~ )





 好き勝手に感想を述べてみます。

 まずコルトーの演奏。
 古き良き時代の端整な演奏という印象。知的にまとめられていて、落ち着いて聴けます。

 次にブレハッチ。
 6人の中では一番若くて、現在(2008年)23歳。
 ショパン・コンクールで優勝した人なのですが、この演奏に関しては、なんかショパンらしく聞こえないなぁ…。まるで、ツェルニーのエチュードを聴いているような感じ。わざとそんな感じに弾いてみた? 

 チェルカスキーの演奏は、極端に遅いテンポから始まります。その後、起伏に満ちたロマンティックな表情を見せ、最後はテンポアップしてダイナミックに終わる。チャーミングな演奏だ!

 後半の3人(キーシン、ティエンポ、アルゲリッチ)は、短距離走者のように、速度を競い合っているかのような演奏です。

 まず、キーシン。
 具体的なデータが無いのだけれど、姿を見る限り、かなり若い頃の演奏。求道者のように無心に何かを追い求めているような雰囲気があって、僕のような軽い人間にとっては、なにか聴いていて辛くなります。

 そしてティエンポ。
 キーシンより1年若い。
 ピアニストとしてはキーシンと同等かそれ以上の能力を持ってる人だと思うのですが、そのラテン系の陽性のキャラと演奏ぶりが、深遠さを尊ぶクラシック音楽の世界では、常に思いつめたような緊張感を漂わすキーシンの存在感と比べると、ずいぶん軽んじられてきたように思います。
 キーシンの演奏と、その速度感においては似ているのだけど、そこから感じられる印象はかなり違う。 なんていうかね…、才能ある若者が、「弾けることの喜び」を感じながら、伸びやに弾きまくっているという感じ。そこには、「深み」は感じられないのだが、(録画時はたぶん)10代のピアニストが、チェルカスキーみたいな演奏をしたら、ちょっと気持ち悪いかも。

 最後に、アルゲリッチ。

 この人のピアニストとしての奇跡的な能力は、この世から微妙にはみ出しているのではないかとさえ思えてきます。
 
 記録に残る肝付尚五郎は、何事にも熱心に取り組む少年で、儒学、歌道、剣道、馬術など、昼夜問わず勉学に励んだが、17歳のころから病気がちになり、母親に勉強のし過ぎではないかと心配され、薩摩琵琶を弾き始める。

 ところが、今度は琵琶にのめり込んでしまい、その凝りようを心配した肝付家の家令(家務会計の管理し、雇い人を監督する役職)が、古い長歌を引用し、「祖先に恥ずかしくないように」と諭した。

 長歌は、その昔、豊後、肥前、肥後、薩摩に亙る勢力争いが盛んだったころの様子を歌ったもので、肝付家が苦戦したことも歌われている。

 その件を涙を流して聞いていた尚五郎は、武士である自分が芸事だけに没入していたことを恥じ、涙を流しながら琵琶の糸を捨て、二度と手にしようとしなかったという。
  

  ***


 男尊女卑の気風の強かった薩摩において、島津の分家の娘だった「於一」の記録が、ほとんど残っていないのに対して、肝付家の三男坊・尚五郎については、本人の人柄を偲ばせるこういった生々しい記録が、数々残されている。

 そこから伝わる「尚五郎の一途さ」が実際に向けられた対象は、学問・武術・芸術だったのだが、それを「於一」にシフトさせて描かれたのが、大河ドラマ『篤姫』の前半部分部分における「尚五郎さん」だった。家令に諌められ、のめり込んでいた琵琶を泣く泣く手放したエピソードなどは、「恋い慕っていた於一が、斉彬の養女となり、思いを遂げることを諦めた」というドラマの中だけの架空の状況にデフォルメされてはいるが、実在した「肝付尚五郎」の心の葛藤を、けっこうリアルに描き出し得ていたように思う。

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 小松帯刀の生家・肝付家は、喜入領主であり、「一所持」と言われる家柄。

 そんな名家の御曹司であったにも関わらず、幼少年期の「尚五郎」には、それに似つかわしくない、当時としては少し変わったところがあったようなのだ。

 上級武士でありながら、威張ったところが少しも無く、商人のように近づきやすい雰囲気があり、そんなところから「お人好し」とも言われたが、それどころか「馬鹿ではないか」と陰口を叩く人さえいたらしい。
 共を連れずに外出することは許されない身分なのに、彼は平気で一人で出かけ見聞を広めた。よく温泉に出かけては、身分も名も明かさず庶民と語り合い、世間を知ろうとした。
 15歳のころからは、若い下級武士の集まり「誠忠組」とも交流するようになっている。当時、時期藩主をめぐる「お由羅騒動」で揺れていたころで、身分を考えると危険な行為とも言える。

 彼の個性は、当時の「常識」から、大きく外れたていたのである。

 大河ドラマ『篤姫』の前半で描かれた青春時代は、ほとんど「小松帯刀の青春」であり、そこに、幼少期の記録がほとんど残っていない「篤姫」をポンと放り込んで、「肝付尚五郎」の人間的魅力を「於一」と「尚五郎」というコンビに振り分けて脚本化してみたと…、そんな感じがする。

 主人公は「篤姫」なので、尚五郎を中心に描くわけにはいかない。そんなこともあってか、ドラマに登場した尚五郎は、「於一」に振り回される少し頼りないボンボンのように描かれていたが、実在した肝付尚五郎は、その秀逸な気品漂う容姿や闊達な話し振りから、一度言葉を交わしただけで鮮烈な印象を残したらしい。

 脚本家の田渕久美子さん…、少なくとも前半の「薩摩青春編」において、一番書きたかったのは「小松帯刀」なんじゃないのかな?

  (つづく)

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 脚本家の田渕久美子さんが、大河ドラマ『篤姫』の全体像を構想するにあたって、最初に考えたのが、こんなことだったみたいです。

 原作の歴史小説『天璋院篤姫』(宮尾登美子作)は大奥を中心として書かれたものなので、そのまんまでは、歴史を描く『大河ドラマ』としては成り立たない。

 大奥の外の世界を描かなければならない。

 それには、「歴史の渦中にいて、尚且つ篤姫と繋がれる存在」が必要だ。

 そんなわけで、あれこれ調べているうちに浮上してきたのが、小松帯刀なる人物だった。

 一般的には殆ど無名ながら、よくよく調べてみると「維新三傑」とされる西郷隆盛や大久保利通や、人気の高い坂本竜馬と同等以上の活躍をしている。明治維新を語る上では欠かせない重要人物であり、しかも、篤姫と同年の天保6(1835)年生まれ。

 さらにその年は、篤姫の養父となった、名君・島津斉彬が初めて薩摩の地を訪れた年でもある(この史実が、ドラマに登場した「2人が、それぞれ斉彬から授かった誕生祝のお守り」に繋がっている)。

 この事実に辿り着いた田渕さん、その瞬間、わくわくしたでしょうね。さぞかし創作意欲を掻き立てられたことでしょう。

  (つづく)

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拝啓 桜島殿

 地図を見ると、薩摩半島と大隈半島に挟まれた細長い錦江湾の真ん中に、「小さな丸い島」として、行儀よく収まっている。

 阿寒岳、大雪山、蔵王山、磐梯山、妙高山、剣岳山、荒島岳…、こういった「名山」と言われる日本の山々の名前と比べると、

 「さくら じま」

 なんだか、雛人形みたいに可愛く思えてくる。

 
 ところが、初めて鹿児島を訪れ、初めて桜島を見て、驚く人は少なくない。


 「こんなに大きいのか! もっと小さいと思ってた。」

 多くの人が、そう口にする。

 

 ネット上でも、そんな感想を数多く目にするが、

 そんな中でも、熊本市から原付にまたがり、初めて鹿児島を訪れた大学生(記事をアップした当時)の鹿児島旅行記が、若く生き生きとした感性で書かれていて面白かった。
↓ こちらに掲載されています。
http://cost-off.seesaa.net/article/16818453.html

鶴丸城移転計画

 最近まで知らなかったのだが、鶴丸城を移転させるという計画が、幕末に実際にあったらしい。それまでの、弓や槍を使った国内の戦いと違い、外国との海と陸の戦いになった場合、海岸から近い鶴丸城は砲撃にさらされ、あっという間に破壊されてしまう。時の薩摩藩主島津斉彬は、それを危惧していたのである。安政5(1858)年5月、勝麟太郎(のちの海舟)率いる幕府軍艦「観光丸」が航海伝習のため、鹿児島に立ち寄った折、ハントウェーンというオランダ人教官からもそれを指摘されている。

 それに先んじること6年。嘉永5(1852)年に、斉彬は同じ理由から、江戸郊外の渋谷村(現・渋谷区東4丁目)に新たに藩邸を買い増していた。ペリー初来航の前年である。

 城の移転先候補地となったのは、国分だった。計画はかなり具体的なものだったようで、もしそれが実現していれば、現在の鹿児島県の有様も、随分と違うものになっていたかも知れない。

※詳しくは作家の桐野作人氏が、南日本新聞に寄せた記事をご覧ください。
   ↓
幕末の鶴丸城(上)
http://373news.com/_bunka/jikokushi/80.php
幕末の鶴丸城(中)
http://373news.com/_bunka/jikokushi/81.php
幕末の鶴丸城(下)
http://373news.com/_bunka/jikokushi/82.php
 八田 知紀(はった とものり)
 歌人。幼名は彦太郎、通称は喜左衛門、号は桃岡(トウコウ)。
 1799(寛政11). 薩摩国鹿児島郡西田村(現・鹿児島市常盤2丁目)生れ。京都の藩蔵役人、歌道御用掛。

鹿児島市のホームページに詳しい説明が出ています。
 ↓
http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/kanko/_28665/_28666/_29780.html

 小松帯刀は、10歳の頃から、この八田知紀に歌を習いました。その当時、八田はまだ無名でしたが、小松は後に高名になることを予見していたといいます。

 八田知紀誕生地
  ↓
石碑 広角 (30%)

解説板 (30%)

 僕は、八田知紀が生まれた常盤2丁目に、3歳から13歳までの10年間住んでいました(当時は常盤町)。

 その頃、常盤の森の入り口に、八田を記念し、号・桃岡から名付けられた桃岡公園があり、子供たちの良き遊び場になっていました。子供たちは「桃岡(とうこう)」が、歌人の号だということも知らずに、その「遊び場」を「ももがおか」と呼んでいました。

 通称「桃が岡」と八田知紀生誕地の碑の関連を知ったのは、小学校4年生のときでした。校区の歴史を勉強する時間があり、薩英戦争本陣(千眼寺)跡地やここを、担任の先生に引率されて、クラス全員で見学に行きました。

 「桃岡」という号を、生徒たちはてっきり「桃が岡」という地名に因んだものだと思い、口々にそうささやいていると、担任の先生が「おい、それは逆だぞ!」と言われてしまったことを昨日のことのように思い出します。

 それから40年余りが経過し、平成20年の今日、NHK大河ドラマ『篤姫』が評判になり、その八田知紀が、ドラマの準主役として登場した小松帯刀の歌の先生だったことを知ったわけです。

 ところで、子供たちにとって良き遊び場だった桃岡公園も、今は私有地となり、石碑は武岡の頂上で武岡トンネル換気所と樟南高校の野球グランドの間に移されているとのことです。


※小松帯刀屋敷跡 
    ↓
http://meadowblog.blog74.fc2.com/?q=%BE%AE%BE%BE%C2%D3%C5%E1%A1%A1%B2%B0%C9%DF%C0%D7


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 正直言って、この回にはあまり期待していなかった。その前の「無血開城」や「慶喜救出」など、役者の熱演もあってそれなりに感情移入して見てはいたが、史実をいじくり回し過ぎていて、なんというか、脚本家から台本そのものを見せられて、「どう?面白いでしょう?」と言われているような感じがして、以前と同じようにはのめりこめないでいた。

 そして今回は、小松帯刀が青春時代に篤姫に対して抱いていた恋心を告白するという(現実には無かったはずの)設定になっていて、予告を見た段階で、少々鬱陶しく感じられていた。
 ドラマ前半に、若き日の小松帯刀(肝付尚五郎)が於一に恋心を寄せるという架空のエピソードを盛り込んだために、ここにきて辻褄合わせのために、こんな無理な展開をねじ込まざるを得なくなった…。そんな感じしか持てないでいた。

 ドラマ前半で描かれた尚五郎像は、「頼りないお坊ちゃん」。イギリスの外交官アーネスト・サトウをして「私の知っている日本人の中で一番魅力のある人物で、家老の家柄だが、そういう階級の人間に似合わず、政治的な才能があり、態度が人にすぐれ、それに友情が厚く、そんな点で人々に傑出していた。」と言わしめ、大隈重信をして「容貌、風采ともに立派で、気品があり、薩摩人には珍しい雄弁家で、寛仁大度の人だった」と言わしめた人物像からはかけ離れていて、苦々しい思いをして見ていた人も、実は多かったのではないかと思う。

 長ずるにつれ、若くして薩摩藩家老としての活躍が描かれ始め、前半でのフラストレイションが解消されつつあったが、江戸城無血開城が近づくにつれ、篤姫のことだけを個人的に思い愁うという、ドラマの中だけに存在する、実在した小松帯刀とは似ても似つかぬ「ナヨゴロウ」に逆戻りしていた。

 これが、どうにも面白くなかったのだが…。

 「明治前夜の再会」は、予想に反して、根こそぎ心を持っていかれた。

 もともと史実になかったことなので、脚本家が思いっきり自由に話を構築できた結果、役者も台本にのめり込めたということか。

 これは、ファンタジーなんだよ…。

 それでいいではないか!

 そんなことを思いながら、なんか、涙など、したたらせておりました。
 

納骨の儀



 県内在住の親族8人が、墓前に集まった。



 身を縮めて、墓石の下にある納骨堂にもぐり込み、。


 甥っ子の手から妹のお骨を受け取り、そこに収めた。

 

 それでも…、



 墓碑に真新しく刻まれた妹の名前と享年(48)を見ると、



 なんで?


 と思ってしまう。




 意識の表層では解っている。


 でも…、心の奥では、まだ受容できていないのだと思う。





 鹿児島らしくない寒い日で、


 雲ひとつ無い青空が印象的だった。


日本晴れ (30%)


 KTSが取材して放送したものを、どなたかが YouTube にアップしてくれてました。



 インタビューを聞いていると、中学・高校時代、彼らと初めて組んだロック・バンド The Lake で、キーボードを弾いていた頃が、懐かしく、懐かしく…、思い出されます。
桜島 ドルフィンポート前の広場より エッジ



 午後3時ごろ、ドルフィンポートのそばにいた。

 岩肌がゴツゴツとせり出してくるような桜島の雄姿に圧倒された。

 この写真だと、その魅力は残念ながら、かなりスケールダウン。

 (写真をクリックして、最大限に拡大してご覧くださいませ。)

 下から伸びてきた木が、階段を避けずに、まるで溶けた水飴が覆い被さったかのように、すっぽりと呑み込んでそのまま伸びています。

木 01 (30%)

 「逞しい生命力」という感じを通り越して、ちょっと恐ろしげな生物のように見えてしまいました。

 (あいにく西陽が降り注いでいて、見づらい写真になってしまったのが残念。)

木 02 (30%)

[鹿児島市上荒田町にて]
右手に持った垂れ幕が…。



ククク・・・(^^; 隣に停められたバイクとの間に挟まってしまい、出てきません。

固まった瞬間、困ったような顔をしているみたいに見えてしまいます。

そして、頭を抱えてクタクタとしぼんでゆく様が、なんだか淋しげ。


     [鹿児島市上荒田町にて]

 好天に恵まれ暖かい日だった。最高気温18.9℃。

 午前中は鹿児島市唐湊にいた。

午前10時頃 (30%)
        唐湊1丁目より 午前10時頃撮影

午前11時頃 (30%)
        唐湊1丁目より 午前11時ごろ撮影
      

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