1. 無料アクセス解析

TOP PAGE


Web 検索


ブログ内検索


写真をクリックすると、掲載記事に移動します


最近の記事


Google Adsense


月別アーカイヴ


ブロとも申請フォーム


最近のコメント


Google adsense


 25日の日曜日、従弟が訪ねてきた。

 この従弟とは、母親同士が仲の良い姉妹だったこともあって、子供の頃は家族ぐるみの付き合いがあり、よく互いの家を行き来しては遊んだものだ。

 双方の家族とも子供が3人。

 訪ねてくれたのは、一番上で、僕より3歳年下のO君。

 大阪の大学に進学し、以後ずっと大阪在住なので、大人になってからは会う機会は滅多にない。

 最後に会ったのは、4年前京都に旅行した時。

 鹿児島で会ったのはいつだったかと思い起こしてみると、当時住んでいた長野県から帰省した27歳の時だ。

 実に25年ぶりということになる。

 今回訪ねてくれたのは、昨年秋に亡くなった妹の墓参りが主目的。折からの寒さで母が体調を崩していたので、二人だけで墓に向かった。

 花を入れ替え、線香をあげて手合わせをした後、しばらくそこで立ち話をした。

  ***

 妹とは5歳離れている。僕が19歳で鹿児島を離れたとき、まだ中学2年生だったわけで、どんな友達付き合いをしていたかなどは、当時はほとんど知らなかった。

 末っ子だったので、家庭の中では「我侭な甘えん坊」的な見方しかされていなかったが、外では「頼られる姐御肌」だったらしい。高校・大学時代を通じて、演劇やバンド活動など、積極的に活動し、大阪の大学を卒業してからは、マスコミ関係の仕事をするためにセスナのライセンスを取得した。そんなことを知ったのは、その後、本人とその周囲にいた人たちの口を通してである。
 
 平成15年のUターン後は、本人の口で語られなかった一面を母から聞いて知った。中学時代、不登校の同級生に毎日電話して励ましていたという。
 入院中の妹をなんとか助けたいと、代替治療薬などを探っていた頃、母が搾り出すような声でこう言った。

 「あの子は、いい子だよ…。友達想いでね…。付き合い上手で、すぐに友達ができるんだよ…。」

 初めて会った瞬間から、まるで以前から友達だったかの付き合える人だったということも複数の人から聞いた。

 病気が発覚し、余命が宣告されてから後、妹自身は死に対して超然としているように見えた。 こちらからの電話に出たとき、さらりとした口調でこう言ってのけた。

 「こういう状況って、本人より周りのほうが辛いんだろうね。余命1年っていうのは、治療せずにいたらっていうことだよ。今受けている治療が合っているみたいで、私元気だよ。まあ、延命治療だけどね。お兄さんは考えすぎるからいかん。今出来ることをするだけだよ。」

 主治医の先生も、妹の精神的な強さを認めていた。

 その強さは生来的なものとも考えられるが、もう1つ考えられるのは、霊感の持ち主だったこと。死が単なる消滅でないことを知っていたことにも起因しているかも知れない。

 ともあれ、死にたかったはずはない。生きたいという思いは切実だったはずである。

 入院中、体力が衰える前は、小指の先ほどの可愛い折鶴を、ピンセットを使って器用に折り、千羽を目標にしていたという。

 「私も折らせていただきました」
 
 看護士の方や主治医の先生から聞いた話である。


  ***


 墓碑に刻まれた文字を見た従弟は、僕がそうだったように、しばらくそこを見つめていた。
 
 「ああやって名前が刻まれているのを見ると、なんか不思議な気持ちになるでしょ?」
 「うん。」
 「妹の隣に並んでいるのがお祖母ちゃんでさ、僕が直接知っている唯一の存在だったわけさ。」
 「うんうん。」
 「その右は、皆そのお祖母ちゃんから聞いた名前なんだよ。」
 「3番目は、弟の長男(つまり僕)になって生まれ変わってくるって言った伯父さんだよ。たぶん話したことあるよね?」
 「あぁ、あるよ。アルバム見せてくれたことあったよね。」
 「そうそう、そのアルバムを制作した伯父さん。今まで手を合わせてきたのは、そういう直接知らない人たちだったんだけど、この間まで生きてた妹が、今はそっち側の世界に行ったなんてね…。最期を看取ってるから、頭ではきっちりと解かっているんだけど、どうしても、受け入れられない気持ちがあるよ。」
 「受け入れられない?」
 「やっぱ、いかんよ。先に死んじゃ…。」
 「そうだねぇ。」
 「こうやってO君と妹の墓参りをするなんてさ、あっちゃいかんことだよ。」


  ***

 墓地を後にした後、そこから程近い城山展望所に行った。遊歩道を少し歩いた後、懐かしい町を訪ねたり、お薦めのラーメン屋に案内するなど、車であちらこちらと引っ張りまわした。

 昔のことを思い出しながらのお喋りは楽しかったが、そんな中に妹も加わってほしかったなぁ…。


折鶴(30%)

 妹が祈りを込めて折った、小さな鶴。


浅間山(30%)

 佐久総合病院の病室から見えていた浅間山。

 妹はこの山を見て、故郷の桜島を思い出していた。
スポンサーサイト
PIC_0016(35% 切り抜き)シャープ5


 午後から、久々にすっきりと青空が広がった。

 城山展望所に上ってみると、修学旅行の高校生たちで賑やかだった。


 桜島を背景にして写真を撮ったり、直接桜島にカメラを向ける生徒たち。

 たぶん初めて見る子がほとんどなんだろうけど、どう受け止めたのかなぁ…。


 訊いてみたい気もしたが、ちょっと疲れていて、話し掛けるのが億劫だった。



 駐車場に並んだバスを見ると、「長野吉田高校」と表示されていた。


 長野からかぁ!

 勝手に東京のどこかからだと思い込んでいた。

 そうと分かっていれば、去る前に何か少しでも会話してくれば良かったな。


 長野県には20年も住んでたわけだし…。

歪んだ町


  この町へは初めて行ったのだが…

PIC_0014(30%)

  このように

PIC_0018(30%)


  ほとんどの建物が歪んでいて

PIC_0016(30%)



  しばらく歩いていると


PIC_0015(30%)



  平衡感覚が微妙に狂い


PIC_0019(30%)

 
  船酔いしているみたいな
  おかしな気分になってきた


PIC_0020(30%)


 鹿児島市城南町のこのあたりは埋立地なのだが、地盤の緩さが、こういう結果を招いたのだろうか?

 こんどゆっくり時間の取れる日に再訪して、もっと多くの写真を撮ってこようと思う。

オバマ氏

 アメリカの新大統領に就任したバラク・オバマ氏に全世界の注目が集まっています。



 で、いきなり論点は低空飛行へと転じるのですが、



 「オバマ」という響きから「小浜」「小濱」という日本姓を連想する日本人は少なくないと思われます。



 ところで、小浜さん」「小濱さん」、ともに日本でもっとも多い都道府県は何処かと言いますと・・・。

 実は、鹿児島なのです。



小浜さん(30%)

 「小浜さん」

   電話帳記載件数(2007年版) 全国:2520 鹿児島:322

小濱さん(30%)

 「小濱さん」

   電話帳記載件数(2007年版) 全国:357 鹿児島:60

    
  ※参考サイト
   http://www2.nipponsoft.co.jp/bldoko/index.asp

 ただ、これらの「小浜さん」「小濱さん」の中には、「コハマ」さんや「オハマ」さんも多数いらっしゃると思われ、実際の「オバマ率」は不明です。



◎オマケ
  
 鹿児島のイントネーションでは「お・ば・ま」の「ば」が高いので、その点において、英語と同じです。

 でも「オバマさん」と「さん付け」にすると、「お・ば・ま」の「ま」が高くなり、英語からは遠ざかります。

 鹿児島の名詞のイントネーションは、最後から2番目の母音が高くなる例が多く、「オバマ」もそれに当たります。ところが「オバマさん」となると、最後から2番目の母音「マ」に、最高音が移動してしまうのです。

飛行機雲と太陽


印象派的な太陽(30%)

 ちょっと印象派的な感じ。

 この時間に、たまたまここにいたんだけど、

 もっと違う場所から撮りたかったなぁ・・・。




  高視聴率を記録したドラマだったが、人によって感じる魅力も様々だったと思う。

 僕にとって大きかったのは、これまでにも何度か書いてきたが、小松帯刀なる人物に興味を抱く機会を提供してくれたことだった。

 大河ドラマ『篤姫』は、「歴史の忠実な再現」を狙ったものではなく、「楽しく、切なく、飽きさせることなく見てもらうこと」を第一に創られていたようなので、描き出された人物像も、かなり独創的なものになっていた。
 「キャピキャピした行動的な篤姫」、「うつけの振りをしているが実は英明な家定」、「於一に恋をするちょっと頼りない尚五郎」など、脚本家・田淵久美子さんのオリジナルな設定が、狙いどおりにヒットしたようだ。

 「誠実だが頼りない尚五郎さん」も、小松家を継ぎ、「薩摩藩家老・小松帯刀」となり、坂本龍馬や西郷・大久保らと共に、薩長同盟を成立させ、そして、徳川慶喜に率先して大政奉還を促すなど、日本の運命を左右するほどの活躍をするまでに成長し、「いよいよ本物の小松帯刀っぽくなってきたな」と、回を重ねるごとに、その後の描き方が楽しみになってきた。

 が、終わってみると、小松の描き方は、いかにも物足りなかった(やはり主役は篤姫なのだから限界あります)。

 薩英戦争後、焦土と化した鹿児島の町を見た小松帯刀は、「私は鹿児島の町を守れなかった」「あの人(篤姫)との約束を果たせなかった」と嘆いただけで終わっていたが、実際にはその後の活躍が目覚しかった。

 戦火で焼けた集成館を再興し、多くの反対を押し切って鉄工機械所(現尚古集成館)を建て、長崎から鉄鋼職人を招聘。
 英国の軍事力の凄まじさを目の当たりにし、攘夷など不可能であることを思い知らされた薩摩は、英国との間に講和を成立させ、長崎の英国商人グラバーを介して、軍艦・汽船・武器の購入、物産の販売、西洋文明の輸入、学術研究、講師の招聘、留学生の派遣などを行っているが、小松は常にその中心にいた。慶応2年には、英国公使パークスを鹿児島に招待し、両国間の親交を図っている。

 慶応4年、西郷率いる倒幕軍によって、江戸城総攻撃が行われようとしていた頃、ドラマの小松帯刀は、天璋院の身の上を心配し、今和泉島津家に赴いて、母お幸に手紙を書くことを願い出たり、西郷が総攻撃を中止するようにあれこれと考えを巡らせ、手を打っていたが、実際には、そんな動きができるだけの時間的余裕はなかった。

 ドラマの中では、薩摩藩家老としての姿しか描かれていなかったが、その年の1月、朝廷による新政府から、徴士参与の任命を受け、さらに外国事務局判事を兼務している。これは、後の外務大臣にあたる外交職。外交折衝の手腕を高く買われてのことである。

 就任後間もない1月下旬、神戸事件、堺事件という外国人殺傷事件(謂わば第二、第三の生麦事件)が起こり、その事後処理に忙殺される中で、明治天皇の大坂行幸(ぎょうこう)の下準備として西本願寺を行在所(あんざいしょ)に選定。また大坂で諸外国公使と交渉し、為替レート(洋銀1枚と銀3分の比率)について合意に達している。

 さらに2月30日には、英国公使行列斬込事件も起きている。英国公使パークスが初めての謁見のために参内(さんだい)しようとした際、その行列を狙って攘夷派浪士が襲いかかってきたのである。

 このように、次々と問題が起こる中、西郷と勝の会談で江戸城攻めの中止が決定したのは、その後間もない3月14日のこと。

 実際は多忙を極めていたはずなのに、鶴丸城の久光や今和泉島津家のお幸を訪ね回るドラマの中の帯刀は、えらく暇そうに見えてしょうがなかった。

 === === === === === === ===

龍馬を超えた男小松帯刀龍馬を超えた男小松帯刀
(2008/03/20)
原口 泉

商品詳細を見る

 === === === === === === ===

幻の宰相 小松帯刀伝(改訂復刻版)幻の宰相 小松帯刀伝(改訂復刻版)
(2008/10)
瀬野 冨吉

商品詳細を見る







大河ドラマ『篤姫』で使われていた鹿児島弁 1

  ↑ この記事からの続きです。


   ***


 大河ドラマ『篤姫』は、両親と一緒に見ることが多かったのだが、セリフの中に「でごわす」という言い回しが出てくるたびに、父が「そんな言い方はしないよ」とつぶやいていた。確かに、 リアル空間の中で、「で」+「ごわす」という言い回しを耳にしたことは一度もない。


 ためしに「でごわす」でGoogle検索してみたところ、3万件以上がヒットした。

 「鹿児島に行ってきたでごわす」
 「久しぶりでごわす」

 ほとんどがこんな感じの文章である。
 この2例のうち、上の文章は明らかにおかしい。「ごわす」は「御座います」という意味なので、差し替えてみるとそのおかしさが分かる。

 「鹿児島に行ってきたでございます」

 こんな日本語は存在しない。
 
 正しくは「かごんめ(鹿児島へ) いたてきもした」となる。

 2例目の「ごわす」を置き換えると「お久しぶりで御座います」となるので、「ごわす」を使ったこと自体は間違いではないが、実際には「久しぶりでごわす」とは言わない。

 鹿児島弁に「ごわす」という単語は確かに存在する。しかし、そのまんまの形で会話に用いられることはほとんどない。

 「ごわんさ」「ごわんさなぁ」「ごわんど」「ごわはんか?」「ごわひか?」のような語尾変化した形で使われる。

 観光バスなどでよく紹介される『茶碗蒸の歌』にも「ごわんさ」という歌詞が登場する。

 「日に日に三度もあるもんせば、綺麗なもんごわんさぁ」


 この 「ごわんさぁ」 が

 実際に使われる 「ごわす」 の生きた形なのだ。

 
 この部分を 「でごわす」 式に


 「綺麗なもんでごわす」


 と言い換えてみる。


 変に硬直している。

 耳慣れない違和感がある。

 
 「でごわす」なんて


 実際には言わないのだ。





 例にあげた「久しぶりでございます」の、直接的な鹿児島弁訳は、

 「さしかぶぃ ごわす」

 ただし、そのままでは少し固い感じであり、実際の会話の中では、「さしかぶぃ ごわんさなぁ(久しぶりでごさいますねぇ)」と、大きな抑揚を伴ってやわらかく話されることが多い。

 さりとて、そのまんまの鹿児島弁をドラマのセリフに使うと、県外の方には意味が分からない。そんなわけで、「ひさしぶりでごわす」みたいな不自然な言い回しが使われているということなのだろうが、個人的にはやはり「でごわす」という言い方には抵抗感を覚える。せめて、

 「ひさしぶぃ ごわす」

 ぐらいにすれば、鹿児島弁らしさが残せると思うのだが…。

   *** 


 次に「おい」という一人称について。

 ドラマの中で、西郷が斉彬や久光、天璋院らに対して、自分を「おい」と称していたが、これは実際にはあり得なかったこと。「おい」は「俺」という意味であり、身分の高い相手に対して使っては無礼になる。実際には「私」という意味の「あたい」という語が使われていたはずである。ただし、これは下町の女性言葉と響きが一致するため、奇異な感じに受け止められることはまず間違いない。そこで「おい」を選択せざるを得なかったということだろうか…。

 ドラマなどで話される薩摩言葉は、無骨で固い感じになり勝ちだが、実際はもっとやわらかい。西郷隆盛についても、後年作り上げられた、実際とはかけ離れた人物像が描き出されているのではないかと思える。

 司馬遼太郎が、薩摩人や西郷、そして薩摩の士族言葉について、こんなことを書いている。

- 私にとっていつも自分の履歴のまがり角に薩摩人が立っているというぐあいであった。これらのひとびとはひとに対するときにはかならず微笑をするという共通の表情をもっている。それも唇を閉じたままくちの両はしにすこし微笑を溜めるという独特のもので、他の地方のひとにはこういう微笑法はない。
 むかしの薩摩では、
「三年に片頬(かたふ)」
 といわれた。武士はげらげら笑ってはいけない。三年に一度ぐらい、それも片頬だけで笑え、というものだが、歯をみせて笑わないにせよ、薩摩人はひとに接するときにはたえず微笑をしていたように見える。西郷という人もそうであったらしい。元来、薩摩の士族言葉というのはじつに優美なもので、音韻的にも母音が多くてやわらかであり、抑揚も音楽的で、ひとに対する優しさのみを表現しようとして出来あがったものではないかとさえ思えるほどのものである。-

 また、勝海舟が、西郷について、こんなふうに語っている。

「西郷というと、きつそうな顔をしておったように描かぬと人が信じないから、ああ描くがね、ごくやさしい顔だったよ。アハハなどと笑ってネ、おとなしい人だったよ。」
 昔と比べると、ドラマで使われる鹿児島弁も、ずいぶんそれらしくなってきたものだと思う。

 安手のドラマなどで、「そうですたい」とか「よかばい」みたいな、鹿児島では絶対に使われない九州北部の方言やイントネーションが鹿児島弁として使われていたり、

 「おいどんは、西郷どんでごわす」

 などという、変ちくりんな言い回しを耳にしたのも、昔のこととなりつつある。



 ところで、昨年のNHK大河ドラマ『篤姫』では、鹿児島出身者が重要な役どころで起用されていた。

 島津久光役・山口祐一郎、小松清猷役・沢村一樹、尚五郎の父・肝付兼善役・榎木孝明、そして、大奥老女・稲森いずみ。

 もし彼らが鹿児島弁の使い手を演じたとしたら、さぞかし流暢な鹿児島弁が飛び交うことだろう。

 しかし、彼らが演じたのは、薩摩言葉を使わない人物ばかり。

 逆に、西郷・大久保その他、薩摩言葉を使う役には、一人として鹿児島出身者がいなかった。これは、単なる偶然なのだろうか? 

 もし、鹿児島出身者で固められたキャストの中で、小澤征悦が西郷を演じたとすると、一人浮き上がることになるのは目に見えている。

 最初のセリフを発した瞬間から、「方言指導担当者から口伝えに教え込まれたイントネーションを、一箇所たりとも間違えないように一所懸命になぞっている」といった感じの、自由に役作りできない「ぎこち無さ」が感じられ、それは最後まで消えなかった (そんな中でも、小澤の演技で印象に残ったのは、江戸城無血開城直前の、斉彬の手紙を読んで感じ入りむせび泣く場面。秘めたる感情を一気に溢れ出させる密度の濃い感情表現には、心が揺さぶられた。方言のぎこちなさを超えた、役者としての力量だと思う。)
  

 ドラマに登場した薩摩言葉は、薩摩武士が使っていた言葉とはかなり違うのだが、

 もし完璧に再現してみたところで、 全国の人には全く理解できないだろうし、現代の鹿児島県人でも完全な理解は無理だろう。

 要は、ドラマの中で、その人が「薩摩の人間である」ということが分かれば良いのだが…、

 それにしても、気になった点が2点ほど…。

 ひとつは、代表的な薩摩言葉と思われている「ごわす」の用法。


 もうひとつは


 西郷を始めとした薩摩武士が、相手が誰であろうと「おい」と自称していたこと。


 (つづく)
   ↓
大河ドラマ『篤姫』で使われていた鹿児島弁 2


09 01 03 桜島 夕暮れ(40%)

      【明和5丁目より】

Powered by FC2 Blog