加治屋町にある「生い立ちの地」ではなく、高麗町にある「大久保利通生誕地」を探して初めてたどり着いたときに、ちょっと驚いたことがる。
何に驚いたかというと、
「それまでに何度もその前を気付かずに通り過ぎていた」
ということにである。
これまで見た「誕生地碑」の中で、これほど目立たないものはない。
「偶然そこを通った」という設定で、その付近を撮影した写真を構成してみることにする。
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「偉人誕生地」として知られる加治屋町にある「維新ふるさと館」から、甲突川に沿って南下し、高麗橋を渡って左折
するとこんな通りが待ち受けている。
この道は、鹿児島中央駅から海岸方向へ伸びる「ナポリ通り」と呼ばれる大通りである。
が、この写真だと、さしたる特徴もない雑然とした風景に見える。
ここで立ち止まって振り返ってみると、

遠くに鹿児島中央駅の駅ビル屋上に設置された観覧車が小さく見える (見えますか? 見づらかったら、写真クリックして拡大してみてください)。
ここは「賑わいから少し外れた場所」なのだ。
再度振り返って、さきほどの道を前へ前へと歩く。

歩道の幅が狭くなる。

左側に古ぼけたブロック塀が見えてくる。

なんだか息苦しい感じだ。

塀が途切れると、その向こう側に開放感のある景色が見えてくる。
視線は自然に、そちらに向かいがちに…。
おっと、道路を横断しなければならないので、車が来ないか左右確認を忘れずに(写真は左だけであるが)。
そして渡りきり、
なんとなく気分すっきり!
ここまでの間に、大久保さんの生誕地碑があったのである。
写真にもそれが写っていたのだが…、
あなたは気づかれただろうか?
ここで、今歩いてきた方向を振り返ると、こんなふうに見える。

少し戻ってみることにしよう。




案内板などブロック塀に隠れるような位置に立っている。
大山巌や東郷平八郎らが加治屋町に建立した「誕生之地」碑に対する遠慮なのか、大久保不人気を反映しているのか、特に意味があってこんな形になったわけではないのか、今のところそういった情報は全く得ていない。
(6枚目の写真を、再度ご確認ください。左側のブロック塀の陰に石碑と案内板が写っています。)
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