勤務先の介護施設に、僕と同じ苗字の利用者さんがいらっしゃる。
娘さんがたまに面会にみえて、食事やその他の介助をしていかれるのだが、その娘さんと話しているうちに、共通点は苗字だけでないことが判明。
時を同じくして同じ町に住んでいたことがあったのだ。
40年以上前のことになる。3歳から13歳までの10年間を過ごした町。その方のお住まいは自宅から歩いて1~2分というご近所さんで、小学校までの通学路の途中にあり、毎朝のように自分と同じ苗字の表札の前を通り過ぎていた。
歳も近く4歳年上。直接的な関わりはなく、たぶん話したことも無かったと思う。でも「確かにそんな人がいた」程度の記憶は残っている。
当時、誰かがこんなことを言っていた。
「うちの父ちゃんが、あの家の人たちは、奄美大島から来た人じゃないかと言っていたぞ」
その人のルーツが奄美かどうかは分からないが、奄美出身者には、顔立ちの濃い人が多い。
真っ先に思い出すのは、第46代横綱朝潮太郎(朝青龍の師匠だった人ではない)。
この人。
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http://sumo.goo.ne.jp/kiroku_daicho/mei_yokozuna/asashio.html
他に、歌手の元ちとせ、元巨人のピッチャー・定岡正二などを思い出す。定岡氏は鹿児島市出身だが、ルーツが奄美大島。
記憶の中の「その人」も、時を経て目の前にいる「その人」も、目鼻立ちのはっきりした濃い顔立ち。
おっとりとして落ち着いたお姉さんという印象がある。自分が小学校3年生になった春、中学に入学。突然セーラー服姿になったときは、不思議な眩しさを感じた。
そんなちょっと遠い存在だった「その人」と、互いに50代となった今、間近に向き合い、当時を振り返る。
「あの角から何軒目に双子の男の子がいて、そのお兄ちゃんが、弟と同級生だったんです。」
そんな話が次から次へと出てきて、中には自分の同級生も何人か含まれていた。
生まれ育った鹿児島に帰ってきて6年。何度かその町を訪ね、昔を偲んでみることはあったが、
- そこに住んでいた自分以外の誰かが突然目の前に現れ、その頃の話をする -
そんな場面が訪れようとは、想像だにしていなかった。
自分ひとりで記憶を辿っていたときは、その町での10年間が、遥か遠くの幻のように感じていた。
ところが誰かと語り合ってみると、まるで昨日のことのように思えてくる。
それが不思議でもあり、嬉しくもあった。
40年以上を経ての思いがけない邂逅。
僕には神様からの贈り物のように思えた。
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