八田 知紀(はった とものり)
歌人。幼名は彦太郎、通称は喜左衛門、号は桃岡(トウコウ)。
1799(寛政11). 薩摩国鹿児島郡西田村(現・鹿児島市常盤2丁目)生れ。京都の藩蔵役人、歌道御用掛。
鹿児島市のホームページに詳しい説明が出ています。
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http://www.city.kagoshima.lg.jp/_1010/kanko/_28665/_28666/_29780.html
小松帯刀は、10歳の頃から、この八田知紀に歌を習いました。その当時、八田はまだ無名でしたが、小松は後に高名になることを予見していたといいます。
八田知紀誕生地
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僕は、八田知紀が生まれた常盤2丁目に、3歳から13歳までの10年間住んでいました(当時は常盤町)。
その頃、常盤の森の入り口に、八田を記念し、号・桃岡から名付けられた桃岡公園があり、子供たちの良き遊び場になっていました。子供たちは「桃岡(とうこう)」が、歌人の号だということも知らずに、その「遊び場」を「ももがおか」と呼んでいました。
通称「桃が岡」と八田知紀生誕地の碑の関連を知ったのは、小学校4年生のときでした。校区の歴史を勉強する時間があり、薩英戦争本陣(千眼寺)跡地やここを、担任の先生に引率されて、クラス全員で見学に行きました。
「桃岡」という号を、生徒たちはてっきり「桃が岡」という地名に因んだものだと思い、口々にそうささやいていると、担任の先生が「おい、それは逆だぞ!」と言われてしまったことを昨日のことのように思い出します。
それから40年余りが経過し、平成20年の今日、NHK大河ドラマ『篤姫』が評判になり、その八田知紀が、ドラマの準主役として登場した小松帯刀の歌の先生だったことを知ったわけです。
ところで、子供たちにとって良き遊び場だった桃岡公園も、今は私有地となり、石碑は武岡の頂上で武岡トンネル換気所と樟南高校の野球グランドの間に移されているとのことです。
※小松帯刀屋敷跡
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