最近まで知らなかったのだが、鶴丸城を移転させるという計画が、幕末に実際にあったらしい。それまでの、弓や槍を使った国内の戦いと違い、外国との海と陸の戦いになった場合、海岸から近い鶴丸城は砲撃にさらされ、あっという間に破壊されてしまう。時の薩摩藩主島津斉彬は、それを危惧していたのである。安政5(1858)年5月、勝麟太郎(のちの海舟)率いる幕府軍艦「観光丸」が航海伝習のため、鹿児島に立ち寄った折、ハントウェーンというオランダ人教官からもそれを指摘されている。
それに先んじること6年。嘉永5(1852)年に、斉彬は同じ理由から、江戸郊外の渋谷村(現・渋谷区東4丁目)に新たに藩邸を買い増していた。ペリー初来航の前年である。
城の移転先候補地となったのは、国分だった。計画はかなり具体的なものだったようで、もしそれが実現していれば、現在の鹿児島県の有様も、随分と違うものになっていたかも知れない。
※詳しくは作家の桐野作人氏が、南日本新聞に寄せた記事をご覧ください。
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幕末の鶴丸城(上)
http://373news.com/_bunka/jikokushi/80.php幕末の鶴丸城(中)
http://373news.com/_bunka/jikokushi/81.php幕末の鶴丸城(下)
http://373news.com/_bunka/jikokushi/82.php
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