


桜島の記録的な大噴火の中に、『天平噴火』[764年(天平宝字8年)〜766年]がある。
〔この噴火で長崎鼻溶岩が形成された〕
こんな1文を見ると、誰しも、昔の大噴火の想像を絶する規模に、驚嘆することだろう。薩摩半島南端に位置する長崎鼻は、桜島から40kmも離れている。その長崎鼻まで溶岩の届く噴火とは一体どのようなものだったのか…。
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↓ 長崎鼻溶岩を形成したほどの桜島の天平噴火について知ったのは、この1〜2年のことである。あまり評判の良くない「2ちゃんねる掲示板」の(なんという名前だったかは忘れたが)鹿児島関連のスレッドに、そのような書き込みがあり、見た瞬間は「まさか」と思った。それでも念のために「天平噴火」で検索してみたら、学術的なサイトの中に「長崎鼻溶岩が形成された」という記述があって、これには驚いた。
そのときは、その膨大な文字数の資料を精読しなかったのだが、最近になって、詳しいことを知りたくなり再度検索してみたところ、大きな勘違をしていたことに気付かされた。
〔大正溶岩や昭和溶岩の下にある長崎鼻溶岩が流下し〕
このように書かれているところを見ると、どうやら長崎鼻と長崎鼻溶岩は別物らしい。
では、なぜその溶岩が「長崎鼻溶岩」と名付けられたのか…、それが新たな疑問となった。
答えは呆気無いものだった。桜島に「長崎鼻」と呼ばれる岬があるのだ。
下のURLを検索エンジンに貼り付けて開くと地図が現れる。右寄りに、桜島の西半分が表示されているので、ドラッグして島を左にずらし、東端付近を見ると、そこに「長崎鼻」という地名が見付かる。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=31/35/21.433&el=130/36/07.872&scl=250000&size=500,500
天平宝字噴火は、古文書『続日本紀』に、「三島が出現した」との記述が残されていることから、以前は海底噴火とみなされてきた。しかし、『続日本紀』には、海底噴火との記述はみられない。その『続日本紀』の記述と地質現象を詳細に検討した結果、噴火地点は南東山麓の海岸であり、「出現した三島」とは、当時の海岸に出現した鍋山、長崎鼻溶岩、浜島一帯(現在は昭和溶岩に覆われている)を指しているのではないかと言われている。
鹿児島で生まれ育ったと言えども、ここでの生活は年齢の半分にも満たないので、まだまだ知らないことの多い故郷である。
※写真は、桜島ではなく、薩摩半島南端の長崎鼻です。
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