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 鹿児島市加治屋町。幕末から明治にかけて活躍した偉人たちが何人もここから巣立っている。

 町内を歩くと、あちこちに誕生地を示す石碑が目に付くが、中でも特に立派なのが、「維新三傑」に数えられる西郷隆盛と大久保利通の「誕生之地」碑。屋敷跡地がそのまま公園として保存されているのもこの二人だけである。


 こちらが西郷さんの「誕生之地」碑。

01 西郷隆盛 誕生之地碑 (30%)


 そしてこちらが大久保さんの「誕生之地」碑。(正面からだと逆光で真っ黒になるので、背後から撮影)

02 大久保利通 誕生之地碑 (30%)

 この2枚の写真を一瞥しただけでは、同一物を角度を代えて見ただけのように思えるのではないだろうか?

 両地の距離は、わずか30メートル前後。歩いて1~2分という近さだ。

 建立碑もそっくりだ。

 こちらが西郷さん。

03 西郷建立碑 (30%)

 碑文の最初の部分に「西郷君」という文字が見える。

04 西郷建立碑 部分 (30%)


 こちらが大久保さん。

05 大久保建立碑 (30%)

06 大久保建立碑 部分 (30%)


 2行目以下の文章は、まったく同じもの。

 どちらも明治22年3月20日に建立されている。

 二つの建立碑には共に、筆頭の大山巌をはじめ、西郷従道、黒木為禎、東郷平八郎など、そうそうたる人物が名を連ねている。

07 大山巌 (30%)

08 東郷平八郎 (30%)

 誕生之地本体よりも、この建立碑のほうがむしろ貴重な歴史資料のようにも思える。


 人気の高い西郷さんに比べ、大久保さんのそれは雲泥の差があり、「西郷どんを死に追いやった裏切り者」として、地元では相当に嫌われていたと聞く。
 しかし、同じ時代を共に生きた軍人や政治家たちにとっては、やはり大久保さんは偉大な人であり、西郷さんに勝るとも劣らない尊敬の対象であったことが、これらの石碑からも偲ばれる。

 両者の「誕生之地」碑には、それぞれ近年作られた案内塔が建っていて…。

09 西郷 案内板 (30%)

 西郷さんのほうは「誕生地」と記してあるが、

10 大久保 案内板 (30%)


 ご覧のように、大久保さんのほうは「生い立ちの地」となっている。

 「生い立ちの地」と微妙な表現になっているのはなぜか?


 実際の生誕地がここではないからだ。
 
 ということは、大山巌さんや東郷平八郎さんたちは、ウソをついたのか?

 もちろんそんなことはない。こういう事態が起こったことに特に深い理由はない。石碑が製作された時点では、ここが誕生地であると信じられていたのだ。

 ところが、公開直前になって、実は隣町の高麗町に生まれ、幼少時にここに引っ越してきたということが明らかになった。

 だが、すでに「誕生之地」の文字が刻まれていたため、「誕生之地」と刻まれた石碑が、そのまま公開されることになった。

 ということなのだ。


 現代の感覚に当てはめると、実に間の抜けた感じがする。しっかりとした裏づけも取らずに、思い込みだけで事を進めるなんぞ、今では考えられないことだ。

 しかし、当時のエピソードをいくつか拾い上げてみると、有り勝ちなことだったとも思えてくる。

 西郷隆盛として知られる人物の本名は、実は「隆永」であり、「隆盛」とは西郷の父の本名である。2~3年前「トリビアの泉」というテレビ番組で取り上げられたことがあって、僕自身はそのとき初めて知ったのだが、以後何度か見聞きしているので、現在ではけっこう知られた話なのではないかと思う。
 西郷の友人吉井友実(よしい・ともざね)が、不在の西郷に代わって新政府に名前を届ける折、通称名の「吉之助」しか思い出せず、聞き覚えのある「隆盛」という名前を勘違いして伝えてしまった。後にそれを知った西郷は、怒りもせず「オイは隆盛(たかもい)ごわひか?」と言って笑っただけだったという。

 西郷の弟・従道も、本名は別にある。西郷家は名の一時に「隆」の字を使う慣わしがあり、従道の本名も「隆道(りゅうどう)」である。それが「従道」と登録されてしまった原因は、本人の薩摩訛りにある。「ラ行」の発音が「ダ行」に近くなってしまうのである。「両棒(りゃんぼう)餅」が「ぢゃんぼ餅」、「らっきょう」が「だっきょ」と発音されるように、「隆道(りゅうどう)」と発音したつもりが「じゅうどう」と聞こえ、「従道」と登録されてしまった。本人もそれを正さなかっただけでなく、以後「従道」と名乗るようになった。


 ①西郷の名前を、彼の親戚でもない吉井友実に訊いた明治政府。

 ②それに対して、勘違いして西郷の父の名を伝えた吉井友実。

 ③名前を間違って登録されても訂正しなかった従道。


 こういった例に照らしてみると、大久保の幼少時の住居跡に「誕生之地」碑が建ってしまったとしても、当時はさほど気にしなかっであろうことが、なんとなく想像できる。

 では、大久保さんの実際の誕生地はどこなのか…。

 先月、はじめてそこを訪れてみたところ、ちょっと意外に感じたことがあった。

  (つづく)
    ↓
  ■大久保利通生誕地 寂しいロケーション


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