1. 無料アクセス解析

TOP PAGE


Web 検索


ブログ内検索


写真をクリックすると、掲載記事に移動します


最近の記事


Google Adsense


月別アーカイヴ


ブロとも申請フォーム


最近のコメント


Google adsense


 昭和49年の夏。 全国高校野球選手権大会の鹿児島県大会で、卒業したばかりの母校・鹿児島玉龍のエースピッチャー、森永君の前評判が高かった。その活躍を期待し、母校の試合を中継するラジオ放送に耳を傾けていた。

 それから3年前、僕が高校に入学した年、鹿児島玉龍は夏の甲子園に出場し、大量得点を重ね、ベスト8まで駒を進めた。鹿児島県代表が、1回戦ボーイだった時代である。鹿児島県は沸きに沸いた。そんな余韻が、まだ残っていたのである。

 しかし、その年、県大会で優勝したのは鹿児島実業だった。
 その鹿児島実業に我が母校が負けた試合を、ラジオで聴いていたが、期待が大きかっただけに、かなり悔しかった。試合終了後も不機嫌な状態がしばらく続き、つまらぬことで激怒し、妹を呆れさせた。
 不機嫌になった理由のひとつは、解説者が、相手ピッチャーばかりを褒め過ぎることだった。戦況の劣勢以上に、そのことが癪にさわった。

 当時、鹿児島県の高校野球界で最も評価の高かったピッチャーは、鹿児島商業の堂園喜義君という下手投げの選手だった。1年生の時からエースナンバーを背負い、県内では負け知らず。大方の予想では、この鹿児島商業が優勝するものと思われていた。

 母校は負けた。だけど、それは時の運というものだろう。決勝ともなれば、鹿児島商業が勝つだろう。そう思っていた。というか、そう願っていた。そんな、心の狭い18歳だった。

 ところが、決勝戦で勝ったのは、鹿児島商業ではなく、我が母校を負かした鹿児島実業だった。忌々しかった。
 このときのエース・ピッチャーが、定岡正二。甲子園で活躍し、巨人に入団することになる。

 YouTubeに、巨人時代の映像がアップされていた。なぜか、完投目前で際どいヒットを打たれてしまう場面。だが、この映像を見ていると、母校との対戦の時、解説者が、このピッチャーばかりを持ち上げたのも、分かるような気がする。大きく振りかぶり、長い手足をしならせたダイナミックなフォームは、魅力がある。


高校時代の映像









  1. スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://meadowblog.blog74.fc2.com/tb.php/132-4d235544